とつとつとしてろうとせず

ひまつぶしにどうぞ。

希うもの

ああ、まったくもって本当に、上手い文章というものを書いてみたい。書きたい。面白い文章が書きたい。ユーモアの光る文章が書きたい。含蓄のある文章が書きたい。人の興味を惹く文章が書きたい。書きたい。自分がいままで読んできた、震える程にすごいと感じた、いずれ名だたる名文の数々のように、人の心を動かし、強く感情を惹き起こす力を持った文章を、書くことのできる能がこの身に欲しい。偉人才人の爪垢だけの分でもよいから欲しい。忙しなく通り過ぎるお歴々の一瞥を、ほんの少しの間ばかり繋ぎ止める程度の魅力でよいから欲しい。欲しい。いやいやしかし、欲しい欲しいとよだれを垂らして手に入るものなぞありはしない。縦令手に入ったとてその質量は高が知れている。何もしないまま何かが得られる世の中ならば、そこかしこに果報を寝て待つだけの怠け者が溢れかえるだろう。その実そうはなっていないということは、いかなる名文も苦悶と憂慮を反復した果ての産物であることの証左であって、駄々をこねても時空の空費であるだけだ。
さあ、すばらしい文章を読もう。たくさんたくさん読もう。心を研ぎ澄ませ、潤いを絶やさぬよう、魅せられるままに情緒を湧き起こそう。学ぶには真似ぶしかない。よいと思った文を読み、よいと思える文を書く。これを続けるより他にない。ああいやまったく、上手い文章を書くのは険しいものだ。

寂静

どんなに耳を澄ましても、あなたの声は聞こえない。どれほど両目を凝らしても、あなたの顔は見つからない。ガラガラとうるさい街の喧騒に、ギラギラとどぎつい電飾の点滅に、あなたは何も残さない、何も謳わない。望みもしない宣伝ばかりがどよどよと押し寄せ、微かな徴を見る影もなく押し流してしまう。使えもしない符号がやたら見事に配列するけれど、肝心要の筆使いはひび割れのように弱々しいまま。ここはこんなにもゴチャゴチャしていて、引き出しが出しっぱなしの工具箱みたいに散在しているのに。誰も彼もが大声で、勝手気ままにぐるぐると口車で発電しているのに。あなたはどこにもいないのだろうか。あなたを探すのは徒労なのか。とても賑やかで騒がしい、活気に充ち溢れた空間の中に、ぼくは延々と配位しない。滑らかな包囲はいかにも取っ掛かりがなく、深爪の連中はスベスベと落体に身をやつす。あまりにもやかましい静けさの中で、耳鳴りが痛々しく響くものだから、ぼくはひたすら寂しさだけに心を傾けた。

科学史っておもしろいよね

科学の発見

科学の発見

図書館にあったので読んでみた。ワインバーグ大先生と大栗先生の名前に釣られたわけなのだが、普通に面白かったです。
今どきの学校では科学史というものはどれくらい教わるものなのだろうか。昔も今も理系の授業というのは好き嫌いの分かれるところではあると思うが、科学史や数学史のような歴史ものは文理を問わず面白く感じられるものではないかと思う。いきなり難しい方程式や概念を教えられてもとっつきにくいばかりで、訳がわからないまま授業に取り残されてしまうのがオチだ。そんなときに、その方程式や概念が導入された経緯や歴史的背景も合わせて説明されると、途端にストンと落ちてくるものがある。というのも、学生の「わからない」の半分くらいは、「なぜそんなものを考えだしたのかわからない」あるいは「どうしてその方程式を解かなきゃいけないのかわからない」という、目的や到達目標の意義を問うものだったりするからだ(もちろん、もう半分は普通に「理屈がわからない」わけだけど)。理論や実験の目的と意義を明確にした上で、その実施に必要な手段について解説するという形で説明されると、より分かりやすい説明になると俺は思う。
まぁつまり、俺も授業で教わるときはもっと歴史的なエピソードを織り交ぜながら教えてもらいたかったなぁという愚痴なのだった。

困惑

自分がやることを思いつきもしないようなことを他人が平気でやっているのを見たとき、声を荒げて怒ったり、何も言えずに泣いてしまったり、他人事のようにニヤついてみたりする前に、刹那であっても人は驚いているように思う。常であればすぐさま怒りや悲しみや野次馬根性に変わってしまうはずのそれが、何にもならないままに延々残り続けているような状態は、とりあえず困惑とでも呼べばいいのだろうか。俺は困惑の最中にあって、目の当たりにした他人の行いに対して、何とも態度を決めかねている。ことばの上ではとっくの昔に意見表明を終えていたつもりだったのに、いざ現実にその思想を体現する機会を与えられたときには、考えていたはずのこととは異なる感情が浮かんできていた。口だけでなら何とでもいえるというのは確かに本当だ。まさか自分の言動でそれを実感するとは思わなかったけれど。
何事にも触れてはならないもの、踏み入れてはならない領域があると人はいう。俺はそんなものはないと常々思っていたし、考えだけでいえばまだそう思っている。いや、確かにそれはないのだ。ただ、それは言語化されて初めて現れるものなのである。新しい犯罪が生まれると新しい法律ができるように、それは触れられるまで、踏み入れるまでは禁止や制止の対象ではなかったのだ。人はそれを無自覚の内に避け、無意識の内に行わないようにしていたのだ。聖域は、侵された後にようやく禁域となる。だからこそ、最初の罪人は何の制約もなく罪を犯すことができるし、ともすれば罰則さえ適用されはしないのだろう。
気付きがなければ無邪気なままでいられたろうに、気付きを得てしまった今となっては、もはや実体の伴わぬ思弁を吐くことは許されない。いまこそ俺は矛盾のない意見を述べるべきだろう。最初の罪人になってしまわないためにも、思考と血流を常に巡らせていなければならない。さもなくば、俺は迂闊で軽薄なだけの人間だと指弾されるだろう。

燠火のごとく消えぬもの

輝く呼び声が薄れ遠のき、みそぎのみなもとの水涸みずがれた今となっても、人の心を戒め、揺動惑乱を生ぜしめる畏れは未だに心臓を走っている。けだしそれはすでに朽ち落ちた古の似姿をかたどり、朧な影となった威力を鮮やかにふちどる熱い息吹である。我らは、失われたはずのそれを見る、毀たれたはずのそれを聞く。雨垂れが苔生した大岩を穿ち、星々の並びがすっかり様変わりしてしまうほどの年月としつきを経てさえも、割れた大岩は今以て頂に鎮座し、昏い恒星はなおも彼方から光を下ろしている。無常のつねを知り、無限のかぎりを知り、さりとて変転を覚えぬ我らは愚かに過ぎるのか。胸裡に流れる冷めやらぬ尊崇の風は、打ち立てられた御旗が翩翻へんぽんと歓ぶ姿に零れる涙は、いずれも茫漠たる幻でしかないのか。虚ろな力を前にして、我らは頭を垂れ、膝を屈めるのをとどめ得なかった。