とつとつとしてろうとせず

ひまつぶしにどうぞ。

なお残るもの

「宗教の自然化」ということばで何を意味しようと考えているのか、未だに自分でもあまり定かではないのだが、少なくともそれは、自然科学的世界観および価値観の中で宗教的な事物をどのように位置付けるのかという問いであろうと思う。そして、「自然化された宗教」、すなわち、従来の宗教的概念の集合の中から自然化不可能なものを排除していき、依然として残ったもの、なおかつ自然科学的尺度ではうまく扱いきれずにいるものこそが、俺にとって真に重要で探求に値にする問題なのだろうと思う。いつの日か、その異物の自然化が完了したとき、人は個人として宗教的な悩みを持つことはあっても、宗教そのものの正体について悩むことはなくなるのではないだろうか。

錯誤

善良な人間が易々と死に、悪辣な人間がのうのうと蔓延る世間を悲嘆して、「こんな世の中はどこかおかしい」「何かが間違っている」と人はいう。しかし、善悪を平衡する天秤が実在しない以上、何か不特定のものを指してその是非を云々することに意味はない。世の中を形作り、それを営むのは人の所業であって、正しさや間違いがあるとすればそれは人の行いの集積の中にしかない。
善悪を平衡する天秤は実在しない。だからこそ、世の中をよくしようとする人の不断の努力が必要なのであって、神仏の不在を嘆くのは時代遅れだ。

離散Hankel変換の計算方法

注意

以下の記述は私的な備忘録であり、内容の正確さに関しては一切保証いたしませんので、悪しからず。

概要

この記事はYu, et al. (1998)およびGuizar-Sicairos and Gutierrez-Vega (2004)によって提案された準離散Hankel変換のアルゴリズムについてのまとめである.詳しくは当該論文を参照のこと.

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数式コマンドのリンク回避

はてなブログでMathjaxを使ってTeXコマンドで数式を書いていると、ときたま数式画像が生成されないことがある。以前にも書いたことだが、これははてなキーワードへのリンクが勝手に貼られてしまい、コマンドとして解釈されないためだ。前回は小手先のトリックで何とかしたわけだが、現在はこれは気にしなくてもよくなっている。というのも、すでに2014年の半ば頃からはてなブログtex記法はデフォルトでMathjaxになっていたらしいからだ。それ以前のtex記法はpng画像化されるため、有り体にいって汚い数式だったためにMathjaxを導入したわけだが、その心配は随分前に無用のものとなっていたようだ。

tex記法の中で書いた文字列にははてなキーワードによるリンクは貼られない。たとえば、Mathjaxを導入した状態で

$\cosh(x)$

と書いてもリンクが貼られてしまい、こうなる($\cosh(x)$)。
一方で、

[tex: \cosh(x)]

tex記法を使えばもう大丈夫、ちゃんと表示される( \cosh(x))。
うーむ、もっと早くに気づいておけばよかったな。情報のアンテナを張るって大事ですね。

空気

空気はなくてはならないものだ。空気は声を届けるからだ。心の震えが喉に伝わり、喉の震えを空気が運び、まだ見ぬ供の鼓膜を揺らす。空気がなければ、誰にも声など届かない。どれだけ喉を嗄らしても、どんなに力を込めたとしても、馬の耳さえそよともしない。伝え、運び、結びつけ、力を帯びて引き寄せる。空気がない場所では、誰しも沈黙を強いられる。
高い高い山の頂は空気が薄い。眼下に臨む雲海にありとあらゆる真理がたゆたい、透明な煌めきがいくつも散りばめられていても、その様子を語ることは許されない。立っているのもやっとのような空間。呼吸もままならず、思考は途切れ途切れになり、世界が歪んで潰れてしまいそうな内圧に、たとえ耐えられるほどの狂気を持ち合わせていたとしても、すべては奪われ、示すことすら叶わない。別の頂に登り詰めた供たちと孤独を分かち合おうとも、悲しみは心を震わせるばかりで何も謳いはしない。頂でしか得られぬものは空気の不在が覆い隠す。
伝達と共有を初めて可能にする機構の存在が、伝達も共有も不可能にしてしまう光景がある。俺はそれを語りたい。しかし、そんな奇跡は神さまにだって起こせやしない。