とつとつとしてろうとせず

ひまつぶしにどうぞ。

恐れたものは

恐れたものは ひとつの幸福 望んだものは ひとりの死 水涸れた砂漠の向こうにも 静かな村がある 息絶えた躯を覆う 赤い空がある柱にくくりつけられた 若い娘たちが たくさんの石を投げつけられ 血を流している 大きな丸い輪をかいて 熱狂と憎しみとが とぐろ…

知らないだけ

知らないだけよ、そう、知らないだけ。あなたが悪いんじゃないのよ、だって知らないんだものね。わたしがあなたを愛してること、あなたを大事に想っていること。わたしはあなたの幸福を願っているし、あなたの心が満たされるように祈っているわ。あなたのた…

何が常軌を逸しているのかについて

いと高きもの、貴きもの、賢く知に富み、大いに力のあるものの内最も優れたものが、我ら子羊のごとき人の子に対して、聖なるその身を差し出し、咎を背負い、血と涙を流し、我らに課せられた罪を贖い、身を持ってそれを浄めた――と信徒はいう。あまりに壮絶な…

呼び名と力

神を蔑ろにした者を神が殺すのなら、その光景を何というか? 敬虔な信徒はそれを裁きと、あるいは罰と呼ぶかもしれない。偉大なる主に逆らったこと、従うべき律法に背いたこと、定められた規則に違反し、それを定め規則を創り出した者に背反したこと、それら…

まだら模様の、友達の、輪!

汗ばんだ手、ぬっと差し出して、ぎこちない笑みの形に顔がひずむ。素敵なファッションですね、なんていってみるけど、もごもごとどもってて正直聞こえない。いつまでも握り返されない手が少しづつ下がる。怪訝そうに眉が痙攣する。でも顔面には下心がこびり…

告白

救いが欲しいのではない、金が欲しいのだ。神に愛されたいのではない、女を愛したいのだ。目を閉じて安らぎたいのではない、すべての事実を知りたいのだ。赦されたいのではない、勝利したいのだ。落ち着いていたいのではない、名誉と栄光に浴したいのだ。誰…

新しく古い病

無知であることは罪ではない。愚かであることも罪ではない。非難されるべきは、自らが無知であることに無知であること、愚かであることに愚かであることである。慎ましさを欠き、思慮分別なく難癖つけてがなり立てるは烏合の衆に他ならない。不用意に狂騒に…

己を知り、己に利するを知る

空観というのも結局は価値観の一つ、考え方の一例であるに過ぎない。確かにそれは事実の観察から導かれた指針であるが、それでもそれはそう考えることもできるという程度のものであり、そこに共感する者は心の安寧を得るだろうが、そうでない者に安心を与え…

いいがかり

キリスト教の贖罪の話は未だにいいがかりとしか思えない。イエスは人々の代わりに人間の罪を贖い、神もまた自らの子を犠牲に人間を許したのだという。でも、それが俺に関係あるのだろうか。俺が何をしたというのだろうか。犯罪者の家族が差別にあうという話…

罪を犯した者は黒と呼ばれ、罪を犯していない者は白と呼ばれる。遠藤周作にいわく、日本人にとって罪とは穢れることらしい。確かにその感覚はよく理解できるように思う。エンガチョとかもそうだし(俺は正直世代じゃない気もするが)、鬼ごっこもそうだ。あ…

ツンデレ坊主

最も誠実な聖職者とは、人生の道に迷い、宗教に救いを求める憐れな民衆に対し、決然といってのける者をいうのではないか、いわく、「いやいや、お前ら宗教とか胡散臭いもんに手ぇ出してんじゃねぇよ。ンな暇あったら働け。勉強しろ。子ども作れ。無理なら恋…

恐怖に踏み留まる

無神論者にとって、唯物論者にとって、死後にすべてが消滅すると信じることは安らぎになる。しかし、なればこそ、そう信じることも俺は拒否すべきなのではないか。なぜ不可知論が最も誠実な態度なのか。それは、死後の世界という経験不可能な(いってしまえ…

果ての家

光射す丘の上、影そびえる朽ち果てた家の、大きな扉の隙間の奥に、小さな四足の椅子の空いているのを見るとき、息を切らし、足を引きずりながら頂きへと至った子どもは、喉を殺して渇いた叫びを上げる。絶望に膝をつき、理不尽への怒りに震える胸を掻き毟り…

科学は宗教か

科学は宗教である、という主張は実に多くの内容を含んでいると思われるため、一概にその是非を問うことは難しいだろう。注意すべきなのは、科学じみた宗教と科学を混同することによってそう主張する場合である。つまり、科学的思考によって導き出される結論…

いまだ迷妄にある

仏教に帰依しないとはどういうことか。それは仏の代わりに神を絶対者として立てることではない。仏教の真髄、すなわち、人生苦の解決が解脱によって為されるという信仰を否定することである。したがって、仏教に帰依しない者は阿弥陀仏や神といった絶対者に…

知りたいこと

俺が知りたいことというのは多分、人の一生涯のうちに全体どれだけのものが手に入れられるのか、ということだと思う。人生は思い通りにはならない。それは人間が無力だからである。これらの事実に反駁はできない。しかし、そこで疑問に思うのは、では人間に…

聖邪の別なく

宗教が善行の動機付けにならないのと同じ理屈で、宗教を悪行の正当化に用いることはできない。神の名の下に悪を為したとしても、罪人が咎を負わなくてもよい理由はどこにもない。戒律と法律は別物である。ゆえにまた、宗教を非難することで悪行を根絶できる…

違和感の正体

宗教の極致が究極的には自我の否定にあるとすれば、俺が宗教に感じる違和感の根本もそこにあるのではないか。キリスト教や浄土真宗が神や阿弥陀如来にすべてを委ねてひたすら祈るように、禅者が壁を前にしてただただ座るように、自我を吹き消し、あるがまま…

強くあれ

俺は自分自身が強い人間だとは思わない。ご多分に漏れず、俺も弱い人間だ。しかし、少なくとも俺は弱さを肯定するような教説にすがりつくべきではないと考えている。明らかに、強いことはいいことで、弱いことは悪いことだ。人は強くあるべきである。強さを…

期待

人生が苦しいのはなぜか。それは幸せと不幸せが半々、まったく偶然に繰り返し繰り返し訪れるからである。幸せだけがあるなら、人生には事実苦しいことはない。毎日を面白おかしく過ごせばそれでよい。逆に不幸せだけがあるなら、それもまた気楽には違いない…

ことばづかい

明確な定義から論述を積み重ねることによって明らかになったことがらは、元となった定義や論述が明確に示されるような語彙によって表現するべきである。安易に「神」や「不死」や「永遠」や「魂」といった人の期待を煽るような語句を用いるべきではない。そ…

甘露を零す

気まぐれに『論考』を読み返してみると、目を引かれる記述があった。 6.4312 人間の魂の時間的な不死性、つまり魂が死後も生き続けること、もちろんそんな保証はまったくない。しかしそれ以上に、たとえそれが保証されたとしても、その想定は期待されている…

真理<事実

真実の、本当の、真の、本来の……これらのような言葉遣いは、下劣で醜悪な現状に悲嘆し、それを否定してより上等で甘美な状態が存在するはずだと主張する者の物言いにしばしば現れる言い回しである。それは多分に願望を含んだ力のない空論であり、面の皮が厚…

後光?なにそれ眩しいの?

事実問題から価値問題に関する主張を取り出すことはできない。もしそれができるなら、科学者こそ価値問題の是非を決定することのできる唯一の身分であるということになる。実際はそうではなく、科学者はリスクの見積もりまでが仕事で、どの程度のリスクまで…

海辺

とても物静かな人がいて、すごく頭もよくて落ち着いてる。この人は浜辺の波の届かない場所に腰を下ろして、何もいわずに遠くにかすむ地平線をじっと眺めて動かない。僕が思わず、せっかく海へ来たんだし泳いだらと声をかけると、かすかに笑って首を降る。な…

奇跡を見た、だから俺は強盗殺人を決意した

宗教と倫理は別物であり、分けて考えなければならない。いかなる秘跡も善行の動機付けとして完全ではない。「なぜ善いことをしなければならないのか、なぜ悪いことをしてはいけないのか」という問いに宗教も答えるだろう。それでも、それは究極的な答えでは…

無宗教

宗教と宗教文化を区別するという視点は確かに大事だと思った。日本に生き、儒教や神道や仏教に由来する文化を持っているということだけでは、人が儒教や神道や仏教に帰依しているということにはならないのだ。墓参も参拝も読経もすでに生活の一部であり、思…

ないならないで諸手を挙げる

人は悲しい出来事に遭うと、こんな悲しい出来事でも何がしかの意味があるに違いない、と考えたがる。そんなことはない。人はあっさり何の意味もなく幸せに生き、ぽっくり何の意味もなく無残に死ぬ。そこには何の意味もない。もちろん、だからこそその生を人…

単純な誤り

「人生は思い通りにならない」という事実から「だから人生は人間の力を超えた絶対的な存在者に動かされている」と結論付ける文章を見た。これは単純に誤りであろう。前者から後者を論理的に導くことはできない(後者を前提とするなら前者を導けるかもしれな…

慈悲の出処

無我の境地というものが、主観の客観視を極限まで遂行したものだとすれば(それが人が普通に感じることのできる「あの感覚」を究極的に煮詰めたものだとすれば)、なぜ慈悲という心理が湧き起こるといえるのか、俺には分からない。感情移入の能力と自己の世…

重いもの

仏教が真理の飽くなき探求を貪りであると説くなら、仏教は俺を救わない。事実と事実から帰結する法則を網羅し、すべてを論理の下で明らかにするのでなければならない。嘘と偽りを駆逐し、根絶することこそ至上である。その途上で目を背けたくなるような真実…

ポイント還元セールは開始すらしていません

功徳という設定は善悪を平衡する天秤と同じ発想に基づくものであり、天秤と同様存在しない。いかに善行を積み上げたとて超越的な何かに由来する報恩は与えられない。翻って、いかに悪行を振り撒いたとて超自然的な何かは懲罰を与えない。もちろん、社会的な…

落胆した、失望した

ないものをあるといい、あるものをないという。これを虚妄という。死んだものを生きているといい、生きているものを死んでいるというのは明らかに間違っている。見えているのに見えていないといい、聞こえているのに聞こえていないというのは虚偽以外の何物…

科学の妥当性

科学が擁護されるとすれば、人々の生活に寄与する応用的側面によってではなく、その手法の正当性によってでなければならない。科学的思考法がなぜ正しく合理的であると評価されるか。それは科学的思考というものが日常生活におけるそれの延長線上にあるもの…

呪文は馬鹿らしい

意味もよくわからない文句を呆けのようにぶつぶつと繰り返したところで何が解決するというのだろう。口を動かしただけで何が変わるわけでもないというのは大方の人間が知っていることで、それを知らないのは子どもか、子どもの振りをしたがっているだけの怯…

病を得て報いる

素晴らしきもの、得も言われぬものは心のどこかに余裕やゆとりが一欠片でもある内は浮かんでこない。それらが削ぎ落とされ、奪い去られ、痩せ細った眼窩に埋まる濁った瞳がぎらつくような時分になってはじめてぽろりと落ちてくる。絶叫と怨嗟が和音を作り、…

もはや別物

日本において、原始仏教のみが本来の正しい仏教である、とはもはやいえないのだろう。今となっては日本仏教とそれとはほとんど別物であるほどかけ離れている。そんな相手に対してわれこそは本物であるといったところで、意味がない気がする。犬と猿とが互い…

あってもよかった

ああ、勘違いしていた。人生の意味はあってもいいのだ。むしろ明確であればあるほどいい。人が人生において自由を得るためには、明文化されたその目的を一言一句違わずすべて無視すればいいだけなのだから。もちろん、無視すれば大抵の人間に人間扱いされな…

開けてはいけない蓋

人生が無意味であることを嘆く人があるが、よくわからない。彼らが何をそんなに恐れているのか皆目見当がつかない。逆だ。人生が無意味であるということは最上級の幸福である。恐れるべきは、この事実を覆す真実が見つかってしまうことである。人生を外的に…

独立協調路線

闘争の撲滅を願うなら我らが為すべきは独立であって同化ではない。同化とは勝敗に伴うものであり、それは紛争の結果に過ぎないからである。和平に必要なものは十分な距離だ。互いに殺し合うことのできない距離まで後退り、悪口雑言の届かない場所で最小限の…

癌にはなれない

「地球にとって人間は癌細胞」だとか「地球に優しい」とかいう表現があるが、これには語弊があるように思う。地球というのは単なる惑星の名前に過ぎないもので、あたかもそれが価値判断を担う何らかの主体であるかのように擬人化するのは誤解を招くだろう。…

慈悲と愛

善逝曰く、愛とは妄執であって苦の原因であるから、愛ではなく慈悲を持てという。しかし、慈悲のみに満たされた世界は美しいだろうが、酷く心寒い情景に思える。それは農薬に塗れた作物というか、高度に制御された自然現象のような、ある種の人工的な違和感…

泥の山

他力本願はやはり駄目だ。自力によって本願は成就されずというなら他力によってもそれは不可能なのだ。否、本願成らずとわかった時点で他力という概念そのものがでっち上げに過ぎないと気づかなければならない。それで終わるのではない、そこから始まるのだ…

獣としての神

獣としての神は悪である。すなわち、それは人の道理から外れた存在であり、その意図に対してどのような解釈を行おうともそれは妥当ではない。獣が人を殺したとしても、そこに情念はない。恨みや憎しみによって殺すのでも、怒りや悲しみによって殺すのでもな…

醜い者

醜い者には首がない。ゆえに己を省みることがない。彼は盲であり、聾である。いかに自らが捻じ曲がり、歪み、奇形であるかを知らない。焼け爛れた肌を曝し、腐臭を放つ汚物に塗れ、それでもなおキィキィと甲高く、不快に騒ぎ立てることを止めはしない。彼は…

褒美的発想を捨てる

一般に、悟りを開けば輪廻転生を解脱するといわれるが、このように目的を褒美化して弱者に教条を強いるというのは宗教的に幼稚ではなかろうか。おそらく人々が知りたいのは、どうあがいても輪廻転生から外れることができず、苦しみを取り除くことが絶対にで…

見解の相違

宗教的問題の最も根本的な問いとは多分、「痛苦を除くことはできるのか」ではないかと思う。それに対する答えの違いが数多の宗教的立場を生むのではないか。そして、かなりの部分の宗教がこの問いに肯定的に答えることから始まっているのではないだろうか。…

地に足着かず

非現実的で、説明の困難な表象が立ち現れたとき、最もしてはいけないことは、それに関するありそうな解釈を与え、何とかして理解可能なものに変換しようとすることである。説明不可能・解釈不能といった事態は実は存在しない。どんな不合理で突拍子もない説…

信心深い科学者がいる理由

神秘性と合理性は対立しない。というより、神秘的なものはすべて非合理的であるわけではない、というべきか。たとえば、世界の存在や物理法則の内実は、それ以上説明が不可能という意味で神秘的であり、そこにはいかなる理もない。しかし、それらは決して非…

天秤

善悪を平衡する天秤は存在しない。究極的に幸福な極悪人も、最悪なまでに不幸な極善人も、どちらも等しく存在しうる。地獄や天国、業や徳といった概念はこうした事実の証拠である。畢竟それらは栄華に浴する悪人をやっかんだ俗人が、現世ではその状況をどう…