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とつとつとしてろうとせず

ひまつぶしにどうぞ。

真理の強要

道徳と同じく、宗教は真理を語らなければならない。正確にいえば、宗教が語る内容は虚偽であってはならない。人は嘘を信じることはできないからだ。したがって、教説が嘘であると判断されたとき、宗教はその人に対して語ることばを失う。
しかし、本当にそうか。経験的に確証できない命題に対して最も真摯な態度は不可知主義である。だが、なぜ真摯な態度を取る必要があるのだ? というより、それが真摯な態度であるといえるための基準とはなんだ。誠実さか。ではなぜ誠実である必要があるのか。いや、誠実であることがよいことであると、どうしていえるのか。自分を救ってくれる嘘にすがることは悪いことなのか。俺には悪いことのように思えるが、そんなこともは屁とも思わずにそれを実践している人間が世間にどれほどいることか。
自分の信じていることを真実だと疑わない者、確証の得られないことがらについては何も信じない者、自分の信じていることが嘘だと知っていてなおそれを信じている者。これらの内、最も健全な人間はどれだろうか。そして、最も健全な者と最も幸福な者は一致するだろうか。一致しないのなら、健全さとは全体何のための価値なのか。