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とつとつとしてろうとせず

ひまつぶしにどうぞ。

さもなくば教

「私を信じなさい。さもなくば、あなたに祝福は与えられないでしょう」「私に背いてはならない。さもなくば、お前は永遠の苦しみに囚われるであろう」――これは脅迫であり、服従の強制であり、意図的な選択肢の制限である。しかし、重要なことは、このような言説が暴力的であるということではない。このような言説が暴力的であると感じてしまうような聞き手の状態、それをただの妄言以上の何かであるかのように錯覚してしまっている自分自身の心のあり方こそが問題にされなければならない。
信じることは何かの手段か。確かに、様々な日常的問題において、そうであることはあり得る。ただ、信仰の問題においては、それは主題でなければならない。信じることただそれだけでが何かが達成されるという誤解をまず捨てなければならない。何を信じるべきかを明らかにしなければならないのではない。何を信じているか、どうしてそれを信じているのか、どのような経緯でそれを信じるようになったか、何をその根拠と考え、何をその理由であると確信しているか。すなわち、自身が持つ信念のネットワークの全体と、その部分を構成するノードの実質、そして、それらをつなぐパスの論理的妥当性を把握しなければならないのである。