とつとつとしてろうとせず

ひまつぶしにどうぞ。

頭を垂れる

一般に、そうすることが自身にとってよりよい効果をもたらすか、そうしないことによって甚だしい不利益を被る場合には、俺は特定の人物に頭を垂れるだろう。もちろん、社会道徳的な理由から他人に対してある程度の敬意を払うことは当然である。問題なのは、その範囲を越えて、思想的な理由によって尊敬の念を他人に向ける場合である。俺自身はそんなことはしない。だが、周囲の大多数の人間が、ある特定の個人に対して熱に浮かされたような視線を向けるとき、俺はどうするだろうか。おそらく彼らの真似をしながら、その人物に頭を垂れるだろう。そうしたいからそうするのでも、そうすべきだからそうするのでもない。そうしなければ俺の立場は危うくなり、白眼視されながらの生活を余儀なくされることがほとんど確実だからである。彼を取り巻く彼らの輪にそれとなく入っていなければ、今度は自分が彼らに取り囲まれることになるだろう。
俺が尊敬する人間は俺が決める。無論、俺はそれをするのに十分な理由が生じたと判断した場合にはいつでもお追従をうち、愛想笑いを顔に貼り付け、腰を折って頭を垂れるだろう。そうした振る舞いがしばしば衷心からのものではないということだけは表明しておきたいと思う。