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とつとつとしてろうとせず

ひまつぶしにどうぞ。

エネルギーとしての魔力設定

アニメ・漫画・ラノベ・ゲームなどのサブカルフィクション作品において、超自然的・非科学的便利能力の裏付けとして「魔法」というものがしばしば設定される。作品ごとに大なり小なりの差異はあるだろうが、おおむね魔法とは「魔力を源に術者の望んだ事態を引き起こす技法」として設定されると思われる。ここでいう「魔力」とは、魔法を実行する上で必要な力の大きさを示す一種のエネルギーのようなものとして理解されている。
たとえば、術者の前方に炎を撃ち出す魔法というものを考える。1つの案として、その炎の大きさや温度の高さなど(すなわち、その魔法の威力)は、その魔法を行う上で術者が消費する魔力の量に比例する、という設定が自然に考えられる(というより、それが自然なことのように思われる)。この場合、魔力の出処が術者本人なのか周辺の空間から湧出するものなのかは設定としての個性であって本質的な違いではない。魔力設定がエネルギー概念として理解されるために必要な条件とは、魔法が引き起こす事態の質と魔力の量との間に何らかの定量的な関係があると規定されることである。仮に、先程の炎の魔法の威力が術者の詠唱の音としての正確さ(発音、イントネーション、音階、スピード、ブレスのタイミングなど)によって決まるという設定を考えた場合、魔力とは術者の音声を正確に発声する能力を指すのであって、エネルギー概念と結び付けられて理解されることはないはずである。それは魔法の威力と魔力との間に定量的な関係がないからである(もし威力が詠唱の音量に比例するという設定なら、それはエネルギー概念として理解される。ただし、その場合威力を決定する要因は魔力ではなく声帯の筋力ということになるだろうが)。

音としての正確さは定量的に評価できるので、それを指して定量的な関係があるといってもいいのかもしれない。たとえば、発音は音声の周波数スペクトルによってどれほど正確かを評価することができる。しかし、この場合の量とは、基準となる量との差分によって定義される間接的なものである。音量はそれ単体で量としての大小を決めることができるが、発音は基準となるスペクトルを決めなければそれを計測することができない。よくはわからないが、この点がエネルギー概念として設定できるかどうかの違いに関係していると思われる。

エネルギーとしての魔力設定は特にバトルアクションを主眼とする作品においてよく見られる。魔法を不思議なものと見なしてその内実には深く関わらず、魔法によって引き起こされた事態そのものを重要視する、いわゆる「エブリデイ・マジック」的作品には、このような設定は必要ない。これはバトルアクションにはキャラクターの強さを定量的に表現したいというニーズが存在するためだと考えられる。少年ジャンプの作品はわかりやすい例である。『ドラゴンボール』の戦闘力や『BLEACH』の霊圧、『NARUTO』のチャクラなどは、その数値がキャラクターの強さを端的に表している(チャクラは設定としてもエネルギーであると明言されている)。エブリデイ・マジック作品には物語の展開上、少年ジャンプ的な戦闘シーンがそもそも存在しないことがほとんどであるため、当然このようなニーズもない。また、魔法の性質が定量的な関係によって理性的に理解されてしまうことは魔法の不思議さを損なうことにもなるため、このような作品では魔法の性質は説明されないか、かなり曖昧な描写しかされない(というより、魔法に関する詳細な設定自体存在しないようである)。
このように、魔力がエネルギーとして設定される理由は、バトルアクション作品に強さの定量的な指標であるエネルギー概念を導入することにあると考えられる。エネルギーを導入することの利点の一つとして、能力の使用と能力者の疲労度を結びつけることができるというものがある。たとえば、魔力の源が術者の生命力などである場合、術の連続使用は術者の疲弊を招き、最悪の場合生命力が尽きて死に至る、というような設定になるだろう。この場合、魔力とはほぼ術者の体力ないし持久力であり、これは最もわかりやすくポピュラーなタイプの設定であると思われる。これとは異なり、魔力を術者周辺の空間から取り込んで魔術を実行するという設定なら、術の使用は術者の疲労の直接的な原因にはならない。術を制御するのに極度の精神集中を要するという付加設定も考えられるが、疲労の原因としては間接的である。
疲労を導入する理由は作品から理不尽な強さを排除するためであると考えられる。無際限に強力な力を無制限にかつまったくのリスクもなく使用できるようなキャラクターやシチュエーションは、要求される展開のおもしろさの観点から見て不適当である。疲労は能力を使用時間や威力を制限する舞台装置であり、バトルアクションものには何らかの形でほとんど必然的に取り入れられるべきものであろう。