とつとつとしてろうとせず

ひまつぶしにどうぞ。

もはや別物

日本において、原始仏教のみが本来の正しい仏教である、とはもはやいえないのだろう。今となっては日本仏教とそれとはほとんど別物であるほどかけ離れている。そんな相手に対してわれこそは本物であるといったところで、意味がない気がする。犬と猿とが互いに互いを仲間だと思えないのは両者が種族として異なっているからだが、それと同じだろう。それらはすでに共通点を持たず、同じカテゴリに含まれないほど違うものになってしまったのだ。根本分裂どころではないのかもしれないな。どちらが正しいとかをいい始めるまたぞろ戦争になるから、そんな話はしないでおくが、ただ、好きか嫌いかでいったら俺は圧倒的に原始仏教の方が好きだ。もちろん、原始仏教にも入信はしないが、まかり間違っても日本仏教に入信したくないのは、原始仏教が持っていた合理性を日本仏教が捨て去ってしまったからだ。大衆部は大義名分のために己に嘘を付いているとしか俺には思えない。なぜあんなにも大層無駄な設定を山ほどこさえてしまったのか。ああつまり、大衆というのがそれほど愚かで、方便として最も効果的だったのが「大法螺」だったわけか。なら仕方ないか、うん。いつだって常だって悪いのは結局のところ個々の人間の惰弱と怠惰というわけだ。坊さんというのは大変だなぁ、おい。