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とつとつとしてろうとせず

ひまつぶしにどうぞ。

落胆した、失望した

ないものをあるといい、あるものをないという。これを虚妄という。死んだものを生きているといい、生きているものを死んでいるというのは明らかに間違っている。見えているのに見えていないといい、聞こえているのに聞こえていないというのは虚偽以外の何物でもない。通念に反し、正常な思考を疎かにしてまでも、妄言を盲信し、埃を被った因襲に隷従するその様は、頭を振って地団駄を踏む餓鬼のそれと何ら変わりない。何と馬鹿げたことだろう。何と無様なことだろう。聖を貪る比丘ほどに生臭いものもない。まだ凡夫に堕した葬式僧侶の方がマシだ。知らぬが仏を体現する朴訥の方がよほど成仏に近い。虚無を祀り上げることに何の意味があるだろう。それで何を変えられるのか、何がよくなるというのか。この世で最も恥ずべき行為は嘘をつくことである。それも、自分は嘘をついていないと嘘をつくことは悪質である。透徹した視点において自己を客観視できない者が、自らの愚行と惰弱を素直に数え上げることのできない者が、どうして他人にふんぞり返って道を語れるのか。そんなことはあってはならない。他の者はどうであれ、少なくとも俺には我慢ならない。
金剛は毀たれ、すでに礫と化して久しい。その理に反し、その史に反し、愚か者たちはそれらを拾い集め、膠で貼り合わせ、あたかも瑕疵のない宝玉であると欺き、末には己をも偽る。彼らに恥知る者あらば、扉を開け放ち、霊廟に光を射れ。油を撒いて千代の過ちを燃やせ。そこにはただ骸があろう。聖邪の別なく、炭となり灰となり、焼け落ちた伽藍があろう。されどもそこに虚ろはない。覆いもなければ鎧もない。粉塵と煤煙が微風に撒かれた後、晴れ上がった空の下、廃墟に残されたものだけが真の合切である。それを人は見るべきである。それを人は知るべきである。