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とつとつとしてろうとせず

ひまつぶしにどうぞ。

違和感の正体

宗教の極致が究極的には自我の否定にあるとすれば、俺が宗教に感じる違和感の根本もそこにあるのではないか。キリスト教や浄土真宗が神や阿弥陀如来にすべてを委ねてひたすら祈るように、禅者が壁を前にしてただただ座るように、自我を吹き消し、あるがままの世界を眺めることが宗教の目的なら、俺はいかなる宗教にも人生の指針を見出すことがないように思う。俺は救われたいのではないのだ。救いなどいらないのだ。もしも自我を個我を肯定する態度をこそ無宗教と呼ぶのであれば、俺はその意味においてやはり無宗教なのではないか。