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とつとつとしてろうとせず

ひまつぶしにどうぞ。

尖った岩と丸い石

「偉そうついでにいわせてもらえれば、きみは負けることに慣れていないように見えるんだ。硬くて鋭い小刀みたいに。自分より硬いものに当たると、ぐにゃりとしなる前にぽっきり折れてしまいそう。こんどきちんと負ければ、みんなきみのことを見直すと思うよ」
「ばか」

森岡浩之、『星界の戦旗I』、ハヤカワ文庫JA、1996年、p.45

ある日突然、全くの偶然によって、山肌から岩の欠片が剥がれ落ちる。一抱えもありそうなその岩は急峻な斜面を勢いよく転がり続け、やがて近くの川へと落ちる。何もなければ、岩は永劫その場所に留まったろう、しかし、激しい清水が重い岩をも徐々に徐々にと押し流し、下へ下へと運んでいく。時には豪雨が鉄砲水と化して麓に岩を一気に追いやるだろう。川の流れは岩を何度も何度も川底や周りの岩石にぶつけ、砕き、こすり、ついには握り拳大の石へと変えてしまう。小さく軽くなった石はさらに容易に流水によって移動を続け、また時経るにつれて丸くなめらかになっていく。そしてついには海にほど近い大きな河川の水底に沈み込み、長い旅路をひとまず終えるのだ。その後のことはまた別の話。子どもに拾われて石切に使われるかもしれない。玉砂利としてお歴々の庭園に飾られるかもしれない。砂になるまで削り取られて、大海原に出るかもしれない。それはそのときになってみないとわからないことだが、しかし大抵の人の一生とはこういったものであろうて。
つまるところ、彼は未だに落下の途上にある角ばった大岩なのだ。内に宿した激流が、彼を押し流してやまないのだ。わが師はすでに川底に住む一個の丸石となって久しいが、彼は今なお旅路を駆けている。その尖った様からは、自らが将来わが師のようなのっぺりとした礫になるなどまるきり意想外に違いない。だからこそよくぶつかり、周りのものを削り取り、そして自らも削り取られている。確かに、生まれ持った資質がそうさせている部分も少なくないだろう。ゆえに時流を経巡るだけでは彼は丸石とならないかもしれない。それでも、いずれはそうあってほしいものだとわれわれは思っている。
結局のところいいたいのは、世の中の痛々しいまでに生真面目な方々におかれましては、どうかあと少しだけ、己が裁量の許す内のいかばかりか肩の力を抜いてみて、一息ついてはいかがだろうかということだ。フルマラソンを完走しきれるような人間ばかりがこの世界を回しているのではないし、そもそもそれを走って過ごそうなどと考えもしない人間も世の中にはいるのだという多様な事実に、ほんの一時ばかり目を向けていただきたいのである。

進むか退くか迷った時は進めとラフィールは教えられたそうだ。でもそれは、前のめりに死ねといっているような、苛烈な教育ではないのだと俺は思うのですよ、ええ。