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とつとつとしてろうとせず

ひまつぶしにどうぞ。

職と仕事

社会の中で生きていくためには職が必要だ。不働者摂食不能。働いて、お金を得なければ衣食住は成り立たない。それは誰にでもわかることだ。しかし、ただ生きるのではなく、よく生きるためには、よりよく生きるためには、何か仕事を成し遂げなければならない。その具体的な内容は個々人によるし、その価値をはかる基準もまた千差万別である。仕事とは、個人がそれを達成することで自分自身と自分の生を誇らしく思うことができるようになる根拠としての成果だからである。すなわち、それは単なる目標や課題といったものではない。それは外部から客観的な基準にしたがって最大公約数的に与えられるものではなく、それを行う当の本人がそれを実現したいと望むものである。
何人かの人たちは自らの職の中に仕事を見出し、生活のためだけでなく、仕事の達成のためにも日々の労働に励んでいるだろう。営業職なら自らの手腕で契約にまでこぎつけたプロジェクトの件数や規模の大きさを仕事をはかる基準にしているかもしれない。トイレ掃除なら目を背けたくなるほどの糞尿汚物にまみれた便器をいかに素早く頬擦りしたくなるほどきれいに磨き上げるかの技量を仕事の価値と考えるかもしれない。とはいえ、職と仕事が必ずしも一致するとは限らないし、ご時世柄、それは異なっている人が大半ではなかろうかと思う。そのような人たちの多くは余暇の中に仕事を見出す。いわゆる娯楽と区別されるものとしての趣味を、自らの「ライフワーク」に位置づける人は少なくない。日曜大工で丸太から削りだした椅子のデザインと座り心地、プラモデルのディティールとそれを使ったジオラマの原作シーンの再現度、全国津々浦々の飲食店を食べ歩いた記録の正確性と信頼度――枚挙に暇がないほどに趣味というものはたくさんあるが、趣味というからには、それを行う人にとって、何らかの仕事がそこには含まれているだろう。最も幸福な人々は、仕事だけを追い求め、仕事以外のすべてを無視し、ただひたすら仕事の完成度を上げる作業に没頭するあまり、それが他人に認められ、仕事に励むことそれ自体が職として成立するにまでいたった者だろう。科学者にはこの種の手合が多いように思う。
職は必要だ。それが必要でなくなる場面など人間社会においてはありえない。しかし、人の生において最も重要な大事は仕事の遂行である。優先順位は職が上でも、重要度では仕事が上回る。死を迎える最期の瞬間、自身の生涯を振り返る幸福に恵まれたとする(不幸なことに、突発的な事故、殺人事件、無差別テロ、戦争に巻き込まれた人には、そのような穏やかな時間は与えられないだろうが)。そんなときに、自己採点でいいから、「満更捨てたもんでもなかったな」としみじみ思えるような人生を送りたいと俺は思っているし、願わくば、そのような人生をできるだけたくさんの人が送れるようになればいいと勝手に祈っている。