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とつとつとしてろうとせず

ひまつぶしにどうぞ。

求道に死ぬるは坊主の行

自身にまつわるものに暴力がふるわれたとき、大抵の人間はそれに対して同じ暴力をもって抗おうとするだろう。行為としての道徳的な是非はともかく、それは自然なことである。なぜなら、暴力を排除しうるものはただ一つ暴力のみだからである(直接的な暴力を抑止しうるものがあるとすれば、たとえ見かけ上攻撃的な手段をとっていなかったとしても、それはすでの暴力の一種である)。このことはどうしようもなく事実であり、事実を覆すことはできない。このことを知ってなお、求道の坊主が殴られていない頬を差し出して死ぬというのであれば、それは坊主の信念なのであろう。そこに口を挟むことはしない。ただ、その行為を坊主が在家に強要することはできない。盲信によって両の目を閉じるのは勝手だが、坊主の手の平が覆えるのは己の顔面に限られる。事実を事実と知っている人間は、そのような言説には惑わされない。理想としてそうすべきかどうかはおいておくとして、もし仮に暴力による権益の侵害が計画され、それを抑止したいというのであれば、究極的には、それを防ぎうるものは暴力をおいて他にない。坊主が平和主義者の肩書と引き換えに頭蓋をくりぬかれるという選択肢を選ぶのなら止めはしない。ただ、俺はそんなのはお断りだ。同じに死ぬならカタキの肉を食いちぎって死んでやる。誇りが充たされない死に様など願い下げである。