とつとつとしてろうとせず

ひまつぶしにどうぞ。

マッチポンプ

そのように信じた方が心が穏やかになる。そのように考えれば気持ちが楽になる。そのように思えば苦しみから解き放たれ、安らぎの中で憩うことができる――ということをあらかじめ知り尽くした上で、そのように信じ、考え、思うことはよいことか? 自分にとって心地の良い状態を実現することは人間の目的の一つではあるだろう。とはいえ、自らの快楽のために嘘をつくことは悪いことだとされている。それならば、検証不可能なことがらを信じ込み、ありもしない誇大妄想に惑溺し、耳心地がいいだけのお世辞ばかり貪ることは、やはり悪いことなのではないか。それに類することをする者もまた、恥辱にまみれたただの屑として唾棄されるべきなのではないか。
不可知論者は死についても神についても有意義なことは何も語らず、お茶を濁してばかりだという人がいる。しかし、超越的なことがらに対して、自分の感情を落ち着かせるためだけにその是非を断定することは、お茶を濁すより質の悪い行いなのではないか。あの世を信じない人はあの世があることに耐えられず、あの世を信じる人はあの世がないことに耐えられない。その心理が、自らに都合がいい方を真理だと思い込ませているだけなのではないか。そういう風にしておいた方が楽だから、そうしているだけなのではないか。もしそうだとすれば、そのような心の働きは決して美しくも素晴らしくもないものだと、俺には思われる。