とつとつとしてろうとせず

ひまつぶしにどうぞ。

幸せの形

宗教に帰依するとは、その宗教が規定する幸福の観念を受け入れるということだ。つまり、その宗教の価値基準を肯定し、それに従って物事の判断をすると宣誓することである。宗教の選択とは、幸せの形を選び取ることに他ならない。だからこそ、俺はいかなる宗教にも帰依しない。俺にとっての幸せは俺が決める問題であって、その決断は宗教という外的なものに委ねることではない(もちろん、宗教を参考にするというのは大いにありうるし、結果的に既存の宗教が定める幸福の形に一致する可能性もある)。俺は仏教を、なかんずく原始仏教の合理精神を深く尊敬するものであるが、涅槃が幸福であるという信仰には同意しない。その幸福観を受け入れるということが仏教への帰依を意味するわけだが、俺は仏教には帰依しない。というより、幸福観は俺が自分で決めるものである以上、形式的には既存のどの宗教にも帰依することはない。