とつとつとしてろうとせず

ひまつぶしにどうぞ。

絶望の受容

魂を桎梏に繋ぎ止めるための教え、獅子を猫に変え、狼に犬を産ませ、鷹の翼を引き千切り、蛇に足を付け加える教えは要らない。それは夜泣きを止めない赤子を囂しいと縊る老人の行いである。恐れと畏れを取り違えた耄碌の頭には余生を静穏に過ごす目算しか残っていない。白痴は笑顔を見るために平然と笑気ガスを撒き散らす。彼らは医者であり、弁護士であり、政治家である。溜め込んだ知識とこびり付いた経験によって他の誰よりもどれだけ人間が化学反応の産物であるかを知悉している。知り尽くしているからこそ、何とか絶望で希望が贖えないかと深謀遠慮を張り巡らせ、海千山千の古狸と化して水も滴る美しい嘘をわんさと散布する。その話術があまりに巧みであるので、彼ら自身すら彼らの嘘を嘘だとも思っていない。虚飾と欺瞞の揺り籠の中で三つ子に還った皺くちゃの幼子は無邪気に午睡を貪るだけだ。
俺も絶望を知っている。だが、俺にとって希望とは、獅子を野に放ち、狼の首輪を外し、鷹を籠から出し、蛇を草原に帰すことでしか得られない。むろん、いくつも死ぬだろうが、それでいい。健全な精神は健全な肉体に宿る。どういうことか? 魂は天国地獄極楽浄土には宿らない。魂はいまここに、物質として相互作用する現実の身体に宿るのだ。くだらない繰り言をしゃべくる暇があったら嘘を吐くのを止めることだ。