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とつとつとしてろうとせず

ひまつぶしにどうぞ。

宙吊り

何を拠り所にすればよいのか? 拠り所にすべき何ものも存在しないという事実を、何ものも拠り所にすべきではないという教えを。唯一で、動かし難く、誰の目から見ても明らかな、すべての人間を従わせることのできる法は実在しない。そのことに絶望すべきではないし、心の支えになりそうな快い歴史を新しく捏造したりしてもいけない。客観的な真理がないということそれ自体は一つの真理であると知っている人にとって、客観的真理に相当する物語がすべて作りものでしかないことは自明である。神の声を聞いた人間は精神科を受診すべきであり、使徒に会う夢を見た人間は早く起きて出勤すべきなのだ。
なぜそうまでして、凄絶な光景と引き換えにしてまで誠実であり続けなければならないのか。それは他人の衣服を剥ぎ取り、自分の衣服を脱ぎ捨てるようなものではないか。他人と自分の恥を晒し、他人と自分に恥を晒すだけの行為など、分別のある人間は実行しない。しかし、誠実であることは分別を持つことよりも優先される。それが何もかもを台無しにして、きれいな宝物に汚れをなすりつけるような結果に終わるのだとしても。誠実にこだわることを止めない人間はおそらく未成熟な人間だ。成熟とは適度適当に嘘をつくことだからである。だとしても、誠実でなければならない。それが幸福への第一歩だからである。
人間は度し難い生き物である。幸福を求めずにはいられないという意味で。それは罪深いのではない。罪であれば赦されることができるが、人間の度し難さは誰かがどうにかできるものではない。それは肯定的にも否定的にも解釈することができず、ただそうであるということを認めなければならない事実である。それは背中を押してくれるわけでも、足を引っ張るわけでもない。しっかりとした足場であるのでもないし、一切合切のしがらみから自由であるというわけでもない。誰も自分を正当化してくれないし、誰も自分を非難しない。人は幸福になるしかないのだという事実を観察したら、後は幸福を目指すしかない。それを自覚すれば、幸福に至るためのいかなる価値基準も許される。許す許さないの基準がそもそも存在しないからである。このことを知るために、人は誠実にならなければならない。自分が宙ぶらりんの無様なかっこうをしていることをまず誠実に認めなければならない。