とつとつとしてろうとせず

ひまつぶしにどうぞ。

隠喩

宗教用語はすべからく隠喩であるらしい。それが意味を持つのは、そのことばが通常の使用を否定する形で運用される場合に限られる、のだそうだ。そうであるなら、宗教に関する懇切丁寧な説明とは、その隠喩の解説であろう。すなわち、その説明は当該宗教に由来する専門用語の一切を排除し、一般的な語彙のみを用いて行われるのでなければならない。もし隠喩を隠喩のままに、何かを隠し、誤魔化し、惑わすためにのみ使用し、意図的に被説明者を混乱させるようなことばづかいをする者は、宗教者ではなく詐欺師と呼ぶべきである。
往々にして、隠喩はそれが最も効果的に主張の意味を伝達しうると判断されて用いられる。しかし、誠実な説明者は、隠喩の使用が誤解と恣意的な解釈をいとも容易く誘発するものであることを熟知し、そのことを危惧しているはずである。ゆえに、隠喩の使用は、常にその解説と否定を伴うのでなければならない。誠実な説明者にとって、隠喩は打ち捨てられるべき梯子であるべきである。