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とつとつとしてろうとせず

ひまつぶしにどうぞ。

神の自己認識

神が記号を認識することによって記述は意味を持ち、逆真理条件を満たせば対応する事態が実現し、事実として成立する。実在性を付与するもの、現実性に付随する当のもの、それが神である。それは見るものであり、見られるものであり、それらは同じ一つのものである。サハーとは神の自己認識による展開であり、魔術とはその自己認識の方向を誘導するための記号である。それはサブリミナル効果に似ている。ただし、魔術を神による世界の錯覚と捉えることには語弊がある。夢と現実の区別がない世界において、錯覚という概念は意味を成さないからだ。事実はただ逆真理条件によってのみ事実たりうる。そして、逆真理条件は記述の妥当性を問うものであって、内容の「現実性」を判断するものではない。付言すれば、自己認識を誘導する記号もまた神の意志の表象、その一部である。つまり、誘導というのも語弊があるのだろう。ランダムウォークの次の一歩がどこへ向かうのか、それは神も知らないことなのだから。
「魔術」とはそれを流通させた人物が当時の当該概念から流用する形で命名した呼称に過ぎず、本来の名称ではない。
意思と意志は厳密に区別されなければならない。前者が心理学的概念であるとすれば、後者は形而上学的概念である。