とつとつとしてろうとせず

ひまつぶしにどうぞ。

児戯にも劣る

悪の名によって指示されるべき言動が確かに存在するとしても、彼らの行いをそう呼ぶことはできない。彼らがやっていることは真実悪ではない。というのも、悪ということばはある種高貴で、信念に富み、情熱を伴った運動を表現するために使われるものであって、児戯にも劣る完成度の低い衝動を形容するために用いられるほど気安いものではない。彼らのそれは、単に趣味が悪いだけである。ただただ安直で、ひたむきに愚かしく、病的なまでにつまらないだけである。安いし、低い。空っぽで穴ぼこだらけのスカスカだ。持ち主の健康が危ぶまれる水準の感性を、誇らしげな赤ら顔で高々と掲げる彼らの姿を遠巻きに眺めながら、我々は途方に暮れている。どうすれば彼らの作品がどんなに強調してもし過ぎることはないという程に無価値であることを教えてあげられるのだろう? 自分たちが出来損ないのポンコツであると彼らに気づかせる最も効果的な手法とは何なのだろうか? もしもそのような方法が存在せず、彼らが一生ゴミ溜まりの底の底から抜け出せないとすれば、こんなに不幸なことはない! 我々は脱帽して黙祷するのみである。そして、眼前で騒音を撒き散らす恥知らずな乱痴気パレードを直視できない我々は、恥ずかしさのあまりそこから逃げ出してしまうだろう。後には何も残らない。誰もいなくなり、何も生み出されなくなる。これほど悲しいことはない。これほど虚しいこともない。