とつとつとしてろうとせず

ひまつぶしにどうぞ。

その勝利を悼む

神とは元々「呼びかけにこたえるもの」であったという。しかし、それは神が神々であった頃の話であろう。いま神が民族宗教の小さな主から世界宗教の大きな主となっているとすれば、神は「呼びかけにこたえないもの」でなければならない。被造物の可能性を制限するような存在は、道徳の主ではあっても、人間の主ではない。善をなした者に賞賛が降り注がないのも、悪をなした者に劫罰が下されないのも、神が道徳の主ではないからである。神は、そのような矮小な存在であってはならない。
ああ、だからベルナール、塩とも灰ともつかぬ粉末となったあなたの死は、しかし勝利の証である。図星を突かれた者が激高して手を上げるのはよくあることだ。天の主を僭称する何ものかは、新たな教えという反逆を示したあなたを殺した。このことはただちに、天の主が道徳の主に過ぎないことを意味する。あなたはその身をもって、天の主と魔女たちがまさしく同列の存在であることを明かしたのだ。あなたの偉大な教えは燃やされてしまった。だが、その偉大な死を俺は忘れないだろう。
純潔のマリアはおもしろく、示唆に富んだアニメだったが、あの最終話が綺麗でまとまったものだったかには疑問が残る。天の主という題材は、おそらくエンタメにはそぐわないために、簡略化され、主要なストーリーにはからまないようにされたのだろう。原作未読の身としては、どれくらいアニメオリジナルの話になっているのかはよくわからないが、その判断はアニメという媒体においては正しいのだろう。それでも、胸のすくようなラストではなかったな(それには大分俺の個人的な感性が影響しているのだろうけど)。