とつとつとしてろうとせず

ひまつぶしにどうぞ。

狂気と獣

狂気といって何を思い浮かべるか? たとえば目を背けたくなるような猟奇。熱い血に濡れ、荒い息を吐き、屍肉のこびりついた刃を振るい、人体とその尊厳を同時に斬り刻むような凶行は、確かに狂気に属する。あるいはそれを人は「獣」のごとき振る舞いであるというかもしれない。理性と道徳心によって自らを律し、ある特定の思想を志向する人間的な特性は、欲求と行動が直結した獣のそれとは区別されなければならない。
だが、それだけではないだろう。狂気の内実はそれだけでは充たされない。それだけでは描写されない獣の側面がある。
たとえば瞳を開く天啓。凍える思考と怜悧な理性、熱情を排し、論理と哲理によって世界の神秘を分解する、いかなる狂気からも無縁であるがゆえの狂気が確かにある。そしてまた、獣の行いとは狂犬のそればかりではない。いかなる人間的解釈をも受け付けない非合理的な行為こそ、本来的な獣の概念である。動物学が原始の森の暗闇を打ち払う以前の恐怖、人間が自然の営みの中で極めて秩序的に殺されていったあの頃、吠えもせず、ただただ爛々とこちらを眺める得体の知れない何かたちこそが獣を表象する。
感情と理性の対立構造の中でそれぞれ表現されうる狂気と獣のイメージがある。前者は数多くの作品に登場するだろう。しかし、後者の数は俺の知る限りあまり多くない(少なくとも森博嗣の作品にはそのような雰囲気がある)。もっと後者の作品が増えてくれないかと思う今日このごろである。