とつとつとしてろうとせず

ひまつぶしにどうぞ。

鳶は鷹を孕まない

自らの手になる仕事が形を得て世に出るのは喜ばしいことばかりとは限らない。しばしばそれは子を産み育てる親の立場に比喩される。だがその実その喩えは成り立たない。子どもであれば親はその誕生を喜び祝う。たとい望まれぬ醜い庶子であっても、その生誕は祝福されねばならない。道徳がそれを保障する。しかし仕事が世に出ることを嬉しいことであると保障する道徳は存在しない。実際仕事が後々悔悟と羞恥の対象となることは珍しくもない。というのも、まさに俺はいま嬉しくないのである。悲しいことだ。
鳶は鷹を孕まない。鷹の子を産めぬ鳶が道理を恨んで何になろう。鷹ではないのなら、鳶の子を産み育てるしかない。いずれの雛も醜く映るとて、愛し慈しむより他にない。蛙は蛙を産むのである。