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とつとつとしてろうとせず

ひまつぶしにどうぞ。

漏言舌禍を招く

雑記

気に入らないこと、思想信条に合わないこと、不義の横行にしか思えないことを見聞きしたとき、大抵の、つまり道徳的に慎重でない人たちの多くは、彼らの「正義」にそぐわぬ不埒な連中を大きな声で口汚く罵る。彼らの大半は、しかし当然ながら当事者ですらなく、感官に飛び込んで来たニュースに対して半ば動物的な反応を返しているだけだ。それは威嚇であり、攻撃であり、翻って怯懦の裏返しとしての怒声、すなわち弱さの発露である。不道徳に対して猿のように牙をむき出して金切り声を上げるのは、果たして道徳的な行為だろうか? それ自体は道徳者の皮を被りその立場の威を借りた、単なる憂さ晴らし以上のものではないように俺には思える。もちろん、憂さ晴らしであることに自覚的である内はまだいい。その自覚を欠き、自らを道徳の代理人と自認する傲岸不遜の妄想に陥れば、醜悪極まりない汚物の出来上がりである。
よしんば悪人に悪口雑言をこれでもかと投げつけることは悪行ではないとしても、幾度となく嘲弄を繰り返し、それが茶飯事のように慣れてしまえば、悪意のない発言ですら無自覚に他人を傷つける攻撃性を持つに至るだろう。自然、周囲の人間は遠ざかり、知らぬ内に自らが馬鹿にしていた非道の悪人と同じ側に立たされてしまうかもしれない。罵詈雑言が溢れ出そうになったら口をつぐんだ方がいい。一度卑言で汚れた口周りは簡単にはきれいにならないだろうから。
……そんなことをいいつつも、俺自身はひねもす愚にもつかないおしゃべりを止められないのだから始末に終えない。結局のところ俺も畜生の行いに身を任せる非理性的な存在なわけである。不言実行の人こそ信頼に値するというのは確かに金言だ。人の信頼を得たいなら沈黙することだ。俺は胡散臭いままでいい、もっともっと下らないおしゃべりに堕することにしよう。