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とつとつとしてろうとせず

ひまつぶしにどうぞ。

害益の有無よりも

「宗教は有害で暴力的でろくでもないからなくしてしまおうぜ」という主張と、「いやいや宗教にも価値があるし色んなところで役に立つから残しておいた方がいいよ」という反論は、「宗教は有益か否か」という同じ問いに対する異なる立場の是非だ。しかし、この問いは「宗教は人間の都合に応じて作ったりなくしたり改造したりすることができる」という前提を持っている。果たして本当にそうなのか。宗教は社会工学的な観点からのみ云々されうる領域に属しているのか。いってしまえば、「人間にはもう尻尾がないんだから尾骨なんて取っ払っちまおうぜ」なんていっても、実際に尾骨を明日からなくしてしまうなんてことができないように、人間の生物原理的に発生しうる問題の中に「宗教」が関係する問題があるのではないか。
いくつかの宗教問題が「心の自然化」によって解消されうるものだとしても、当時すでに人間を「単なる動物の一種」「血肉の詰まった糞袋」「様々な原因作用の総合的結果」に過ぎないと考えていた原始仏教的な観点からの問題はまだ解消されないように思える。つまり、科学的な人間観の構築が成功裏に終わることと、人間にとってのいわゆる「人生論的な問題」が解決されることは等価ではないだろう。そうして残る問題群の中に「真の宗教的問題」が含まれているのではないかと思われる。それは宗教の利便性とは全く無関係な問いであろう(そこにはおそらく神の実在などの超越的な外部問題も含まれない)。それを考え、それに答えることこそ宗教家の、いや宗教に興味を持つ人間のやるべきことだろう。