とつとつとしてろうとせず

ひまつぶしにどうぞ。

困惑

自分がやることを思いつきもしないようなことを他人が平気でやっているのを見たとき、声を荒げて怒ったり、何も言えずに泣いてしまったり、他人事のようにニヤついてみたりする前に、刹那であっても人は驚いているように思う。常であればすぐさま怒りや悲しみや野次馬根性に変わってしまうはずのそれが、何にもならないままに延々残り続けているような状態は、とりあえず困惑とでも呼べばいいのだろうか。俺は困惑の最中にあって、目の当たりにした他人の行いに対して、何とも態度を決めかねている。ことばの上ではとっくの昔に意見表明を終えていたつもりだったのに、いざ現実にその思想を体現する機会を与えられたときには、考えていたはずのこととは異なる感情が浮かんできていた。口だけでなら何とでもいえるというのは確かに本当だ。まさか自分の言動でそれを実感するとは思わなかったけれど。
何事にも触れてはならないもの、踏み入れてはならない領域があると人はいう。俺はそんなものはないと常々思っていたし、考えだけでいえばまだそう思っている。いや、確かにそれはないのだ。ただ、それは言語化されて初めて現れるものなのである。新しい犯罪が生まれると新しい法律ができるように、それは触れられるまで、踏み入れるまでは禁止や制止の対象ではなかったのだ。人はそれを無自覚の内に避け、無意識の内に行わないようにしていたのだ。聖域は、侵された後にようやく禁域となる。だからこそ、最初の罪人は何の制約もなく罪を犯すことができるし、ともすれば罰則さえ適用されはしないのだろう。
気付きがなければ無邪気なままでいられたろうに、気付きを得てしまった今となっては、もはや実体の伴わぬ思弁を吐くことは許されない。いまこそ俺は矛盾のない意見を述べるべきだろう。最初の罪人になってしまわないためにも、思考と血流を常に巡らせていなければならない。さもなくば、俺は迂闊で軽薄なだけの人間だと指弾されるだろう。