とつとつとしてろうとせず

ひまつぶしにどうぞ。

溜息

無神論者が必ずしも不敬虔でないことはスピノザが見事に論証しまた自ら体現した。逆にいかなる有神論者も不義暴虐をなしうることは昨今の世情と過去数千年の歴史がまざまざと物語っている。無神論者の犯罪者は当然存在するし、無神論者の慈善家も当然存在する。そして、これはまったくそのままに有神論者にも該当する。無神論と反社会的思想との間に必然的で論理的な結びつきが存在しないことは、健康な精神の持ち主であれば子どもであっても理解可能なことがらであり、ものの道理を弁えた大人であればむしろ知悉してしかるべき常識だと俺は信じる。にも関わらず、無神論を背徳者の堕落した思想と悪罵する不健康な輩は後を絶たない。彼らは全体何を根拠にそういっているのだろうか? もしもそう主張出来るだけの十全な論拠があるというのであれば、そのことそれ自体が背徳者とされる理由なのであって、無神論者であることがその主たる部分でないことは明らかだ。何ら非難されるところのない人間を不明瞭な推論に基づいていたずらに指弾すること、それこそが不敬虔な行いでなくて何だというのか。彼らは今一度、自分が主張しようとすることの意味を胸に手を当ててよく考えるべきである。