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とつとつとしてろうとせず

ひまつぶしにどうぞ。

居所

雑記

哲学者の神は儀式の手順について語らない。生活様式の細かい指定も、民族文化が発展すべき方向性についても教えてくれない。一方、民衆の神は世界の神秘を語らない。存在の本質も、道徳の起源とあるべき姿についても、欠片ばかりのコメントすら呟かない。
信仰の問題とは結局何をめぐる問題なのだろうか。それは一種の哲学上の難問にまつわる思弁的なものなのか、それとも死者に対して敬意を表する方法論に関する流派の選好の問題なのか。信仰は個人の問題であるといわれる。蓋しそれは正確である。というのも、問題の設定や目的意識が個々人において見事な不一致を示し、まともな統一案はその影のようなものすらも生半に見つけられるような状態ではないからだ。人々は、問題の設定の仕方、思考や活動の進め方について、互いの指針を確認したり、教授したりして協力することができる。しかし、問題そのものは結局のところ共有できず、寂しさを紛らわせること以外の目的で、信仰の問題を旗印に結集することに、大した意味はないように思える。
何にせよ、俺は未だに自分が何を気にしているのか、それがよく分かっていないままだ。