とつとつとしてろうとせず

ひまつぶしにどうぞ。

わがまま

痛みを感じている人が「私は痛みを感じていない」と真摯に報告することはできない。それは強がっているとか、痛くないふりをしているだけだ。痛いものを痛くないというだけで、実際に痛くないようにすることができるわけではない。
喜びも一緒だ。確かに嬉しいと感じている人に、「それは本当の喜びではない」ということにどんな意味があるだろう。確かに、そうやって水を差すことで結果的に彼から喜びを奪い去ることができるかもしれない。しかし、その発言は、それがなされる前に実在した彼の喜びの歴史までをも否定できるわけではない。彼はそのときまで本当に嬉しかったのだから。
ある種の宗教的境地によって得られる法悦が、神経細胞の発火の組み合わせとして物理的に還元されたところで、その法悦が実際に喜ばしいものであることを否定することはできない。熱心な信徒にケチをつけることはできても、彼の熱情をなかったことにはできない。
目を開けて見る夢から醒めることができないように、事実として物理的原因から生じる好ましい情動を、あたかも好ましいものではないかのように嘘をついても仕方がないのだ。それは幼稚なわがままであって、人生に何か新しい発見を付け加える類の思考ではない。