とつとつとしてろうとせず

ひまつぶしにどうぞ。

明らめる

思うように躰が動かせなくなった時、俺は悲しみを感じるだろう。俺は医者に尋ねたり、医学書を読むことで自身の不自由さの物理的原因を知ることができる。しかし、その事実を明らめることによって、躰を自由に動かしたいという願望まで諦めることができるだろうか。できはしないだろう。むしろ非現実的な物理的解決策にとらわれ、絶望はいや増すことだろう。単なる理性的判断では怒りと悲しみを吹き消すことができないからこそ、宗教と呼ばれるものが存在しうる。篤信家は事実を知ることによって精神的平衡を実現するのではない。彼は精神の在り方そのものを変えることで、本質的に不安定性を回避するのだ。

手をもみ、祈願せざるを得ない人間に、彼は誤っているとか妄想を抱いているとどうして言えようか