とつとつとしてろうとせず

ひまつぶしにどうぞ。

世界の壁は超えられない。なぜなら壁など存在しないから。宇宙は無限の陥穽だ。穴の奥にはまた穴がある。どこまででもいける代わりに、その向こう側には決していけない。向こう側などないからだ。真空を掘り尽くすことはできない。土と真空は別物であり、比…

仮設されたシンボル

仏教徒にとって、ガウタマ・シッダールタが歴史上実在していたかどうかはどうでもいい話である。少なくとも、その生涯を伝えるとされる記録は、明らかに仏教という思想を解説するための単なる寓話であり、史実を精確克明に記した考古学的資料ではないことは…

悟り薬

釈尊は精神的ドーピングを認めるか? これを飲めばたちまち寂滅、四苦八苦が消え失せ、揺るぎない安楽を得る妙薬があると知れば、仏陀はその丸薬錠剤を何とするか。沙門はそれを拒むであろう。自助努力によらない外的要因によって得られた覚悟に価値はないと…

宙吊り

何を拠り所にすればよいのか? 拠り所にすべき何ものも存在しないという事実を、何ものも拠り所にすべきではないという教えを。唯一で、動かし難く、誰の目から見ても明らかな、すべての人間を従わせることのできる法は実在しない。そのことに絶望すべきでは…

道徳の統一

道徳は世界宗教たりうるか。道徳規範は存在論によって構成される。しかし、存在論は科学によっても宗教によっても構成されうる。科学的存在論に基づく道徳規範は、もしかしたら世界の標準になることができるかもしれないが、宗教に基づくそれは、八百万の神…

絶望の受容

魂を桎梏に繋ぎ止めるための教え、獅子を猫に変え、狼に犬を産ませ、鷹の翼を引き千切り、蛇に足を付け加える教えは要らない。それは夜泣きを止めない赤子を囂しいと縊る老人の行いである。恐れと畏れを取り違えた耄碌の頭には余生を静穏に過ごす目算しか残…

属人主義の排斥

ある思想の価値を吟味するにあたって、誰がそれを主張したのかといったことは重要な論点ではない。思想の妥当性はその内容によってのみ判断されるべきであって、その作業に権威主義を持ち込むのは間違っている。釈尊がそれをいったのか、キリストがそれをい…

わたし、離魂します!

釈尊は霊魂の存在に対して「無記」の態度を取った。すなわち、霊魂が存在するかどうかについて肯定的な意見も否定的な意見もあえて述べない、と表明した。このことの揚げ足を取って、「お釈迦さまは霊魂があるともないともいわなかったそうだが、その実霊魂…

本当にいるかどうかはこの際どうでもいい

神から離れて生きるべきだという思想(離神論)において、その実在性は本質的な問題ではない(また、実在性ということばにどれだけの意味や重要性が込められているかということも関係ない)。それはかくのごとく記述される神という存在が仮にいたとすれば、…

幸せの形

宗教に帰依するとは、その宗教が規定する幸福の観念を受け入れるということだ。つまり、その宗教の価値基準を肯定し、それに従って物事の判断をすると宣誓することである。宗教の選択とは、幸せの形を選び取ることに他ならない。だからこそ、俺はいかなる宗…

礎を異にするものが折り重なってある

宗教と道徳は独立している。邪教の存在がその証左である。つまり、道徳的でない宗教の存在は、道徳的であることが宗教的であることと同義ではないということを意味している。邪教徒は自らの行いが道徳的でないことを自覚すらしているだろう。それでも、その…

代わりになるもの

宗教が共同体の紐帯となり、道徳の教師となり、熱情と信念の拠り所となることを期待している人々は、結局のところ、共同体の紐帯が、道徳の教師が、熱情と信念の拠り所が欲しいのであって、それらが労せずして手に入るのであれば、必ずしも宗教そのものを必…

思想の根拠としての宗教選択

自らの思想を正当化し、その後ろ盾とするためだけに、特定の宗教を礼賛し、その庇護を求めることに、何か特別な意味はあるのだろうか。彼はその宗教の存在とは独立に、自らの価値観を把握し、その思想を正しいものだと信じている。それでは不十分なのか? そ…

信じるものを選ぶ

思想と信仰が原理的に選択可能なものである以上、そこに絶対はなく、また真理もない。絶対の真理とは、その内実に関わらず、選択不可能なものだからである。それは必然的に同定されるものであって、個人の嗜好や性状によって信頼されたり打ち捨てられたりす…

凍える夜に巨大な銀河が垂れ下がっていた。空から滲み出した冷気が風に撒かれ、森の中を歩く子どもを打ち据える。木々のざわめきが辺りに木霊して、角笛のような唸り声が後ろの暗がりへと通り過ぎていった。子どもは、ぶるりと震えて自分を抱いた。ガチガチ…

マッチポンプ

そのように信じた方が心が穏やかになる。そのように考えれば気持ちが楽になる。そのように思えば苦しみから解き放たれ、安らぎの中で憩うことができる――ということをあらかじめ知り尽くした上で、そのように信じ、考え、思うことはよいことか? 自分にとって…

人間至上主義

人間至上主義者は何も、人間が素晴しく理想的な存在だといっているわけではない。別に人間は優れた存在者ではないし、高みに上れる可能性を秘めているわけでもない。いつまでも地べたを這いずり回って泥を舐めながら惨めに落ちぶれていく未来だって十分あり…

中道

人間の行いに絶望することは間違っている。同時に、人間の行いに希望を抱くことも間違っている。すべての人間が種として理想を体現できるというのは妄想である。しかし、理想を実現する人間が一人もいないというのは無根拠な断定である。ペシミストとオプテ…

骨を焼く青い光、肉を溶かす白い稲妻

明晰であること、確実であること、疑いなく揺るぎようのないものであることのみを理由に、経験的に検証不可能な論拠に基づくある種の断定的な思想を、自身の行動の指針に採用することはひどく危険な選択である。その思想は単純で、解釈が容易であり、一見し…

二重基準の除去

宗教家は科学で知りうることの限界が存在することを念頭に「人間の能力では知りえない超越的な領域について科学は無力だ」ということがある。それについてはまったくもってその通りだと思うのだが、そう主張したはずの人間が舌の根も乾かぬうちに「その領域…

基準の統一

身体の調子が悪いと自覚している人が、その原因を「悪霊に呪われているせいだ」と信じ込んでいるとしたら、大抵の人間はそれを間違った信念だと考えるだろう。しかし不思議なことに、何かいいことがあった人が、その原因を「神さまのおかげ」だと信じ込んで…

水面を叩く狢

お前の頭はおかしい、お前は間違っている、お前には理性がない、お前のふるまいは非常識だ、お前は野蛮な獣と同じ程度の生き物だ、お前は――青筋を立て、拳を振りかざし、あらん限りの叫び声でもって口汚く罪人を罵る彼らは、自分のその姿がどのように他人の…

恐れたものは

恐れたものは ひとつの幸福 望んだものは ひとりの死 水涸れた砂漠の向こうにも 静かな村がある 息絶えた躯を覆う 赤い空がある柱にくくりつけられた 若い娘たちが たくさんの石を投げつけられ 血を流している 大きな丸い輪をかいて 熱狂と憎しみとが とぐろ…

知らないだけ

知らないだけよ、そう、知らないだけ。あなたが悪いんじゃないのよ、だって知らないんだものね。わたしがあなたを愛してること、あなたを大事に想っていること。わたしはあなたの幸福を願っているし、あなたの心が満たされるように祈っているわ。あなたのた…

何が常軌を逸しているのかについて

いと高きもの、貴きもの、賢く知に富み、大いに力のあるものの内最も優れたものが、我ら子羊のごとき人の子に対して、聖なるその身を差し出し、咎を背負い、血と涙を流し、我らに課せられた罪を贖い、身を持ってそれを浄めた――と信徒はいう。あまりに壮絶な…

呼び名と力

神を蔑ろにした者を神が殺すのなら、その光景を何というか? 敬虔な信徒はそれを裁きと、あるいは罰と呼ぶかもしれない。偉大なる主に逆らったこと、従うべき律法に背いたこと、定められた規則に違反し、それを定め規則を創り出した者に背反したこと、それら…

まだら模様の、友達の、輪!

汗ばんだ手、ぬっと差し出して、ぎこちない笑みの形に顔がひずむ。素敵なファッションですね、なんていってみるけど、もごもごとどもってて正直聞こえない。いつまでも握り返されない手が少しづつ下がる。怪訝そうに眉が痙攣する。でも顔面には下心がこびり…

告白

救いが欲しいのではない、金が欲しいのだ。神に愛されたいのではない、女を愛したいのだ。目を閉じて安らぎたいのではない、すべての事実を知りたいのだ。赦されたいのではない、勝利したいのだ。落ち着いていたいのではない、名誉と栄光に浴したいのだ。誰…

新しく古い病

無知であることは罪ではない。愚かであることも罪ではない。非難されるべきは、自らが無知であることに無知であること、愚かであることに愚かであることである。慎ましさを欠き、思慮分別なく難癖つけてがなり立てるは烏合の衆に他ならない。不用意に狂騒に…

己を知り、己に利するを知る

空観というのも結局は価値観の一つ、考え方の一例であるに過ぎない。確かにそれは事実の観察から導かれた指針であるが、それでもそれはそう考えることもできるという程度のものであり、そこに共感する者は心の安寧を得るだろうが、そうでない者に安心を与え…