とつとつとしてろうとせず

ひまつぶしにどうぞ。

褒美的発想を捨てる

一般に、悟りを開けば輪廻転生を解脱するといわれるが、このように目的を褒美化して弱者に教条を強いるというのは宗教的に幼稚ではなかろうか。おそらく人々が知りたいのは、どうあがいても輪廻転生から外れることができず、苦しみを取り除くことが絶対にできないとすれば、そのようなときにどう生きていくべきかという指針なのではないか。宗教家は人々に痛みや苦しみがさもないように感じられるようにする方法ではなく、痛みや苦しみに耐え抜く方法を教えるべきなのではないか。抜け道や裏道ではなく、正門の位置と堂々たる歩みを勧めるべきではないのか。
まぁ、多分、輪廻転生の概念を含んだ説法というのは当時の世相を反映した方便に過ぎないのであろうから、現代的な観点からそれを重視するのはあまり意味がないのだと思うが。