とつとつとしてろうとせず

ひまつぶしにどうぞ。

本当にいるかどうかはこの際どうでもいい

神から離れて生きるべきだという思想(離神論)において、その実在性は本質的な問題ではない(また、実在性ということばにどれだけの意味や重要性が込められているかということも関係ない)。それはかくのごとく記述される神という存在が仮にいたとすれば、人はそれから距離を取るべきだという主張である。すなわち、それは本来的に反実仮想に基礎を置く。神が実在しなければ、それは取り立てて発表すべきものではないかもしれないが、しかしなお反実仮想であることによって主張の骨子は失われない。逆に神が実在するなら、それはかなり強い主張となるが、それでも根本部分に変わりはない。離神論の妥当性は神の実在の是非に影響を受けずに議論することが可能な思想であり、この立場にとって、それは議論の前提ではない。離神論の核心とはつまり、主題としての神の問題の重要性をもっとずっと低く見積るべきだということに尽きる。それは人が時間と労力を費やしてまで問題にすべき大事ではない。いてもいなくてもどっちでもかまわない。いようがいまいが人はそれに対する態度を決定することができるのだから。