とつとつとしてろうとせず

ひまつぶしにどうぞ。

属人主義の排斥

ある思想の価値を吟味するにあたって、誰がそれを主張したのかといったことは重要な論点ではない。思想の妥当性はその内容によってのみ判断されるべきであって、その作業に権威主義を持ち込むのは間違っている。釈尊がそれをいったのか、キリストがそれをいったのか、それは問題ではない。そんなことはどうでもいい。釈尊がいったにせよ、キリストがいったにせよ、それが重要な意見だと思われたのならば受け入れるべきであるし、瑣末な意見だと思われたのなら捨てるべきである。思想の復元作業は歴史学者と考古学者と文献学者の仕事であって、そのような作業を行う上で発言者を特定しなければならないのでない限り、誰がいったのかは問題ではない。