とつとつとしてろうとせず

ひまつぶしにどうぞ。

銃と詠唱

魔術師は銃を持つか? 持つだろう。こと戦闘において、武器としての銃の優位性は揺らがない。なぜ異能バトルもので銃を圧倒する戦闘シーンが描かれるか、なぜゴジラには自衛隊の砲撃が効かないのか。それはもちろん、銃撃を無効化することでその強さや無敵感を演出できるためだが、逆にいえば、その裏付けとなれるほど銃という武器は強力すぎるほどに強力なのである。現実で銃に勝てる人間は存在しない。そしておそらく、下手な魔術師より凄腕のスナイパーの方がよほど強い。魔術を使おうとする意思が生じる前にその頭を撃ち抜けばいいからだ。
だからこそ、魔術が銃に対して常に優勢であるためには、武器としての魔術のユーザビリティが銃のそれを上回っているのでなければならない。そのためには、少なくとも戦闘の場面においては、長ったらしい「呪文の詠唱」や魔法陣のような「儀式的な準備物」は必要ないのでなければならない。もしそれが不可欠であるならば、魔術師とて戦闘では魔術など使わず、銃を抜くだろう。呪文が必要な魔術体系の下にある魔術師の価値は、いわば自然科学の研究者のようなものであって、兵士としての需要は全くない。
もしくは、魔術師には銃撃が効かないという一般的な状況を作り出すことができる設定を用意する必要がある。しかし、これは難しい。銃撃によるダメージが物理的過程であり、魔術による攻撃もまた物理的な過程をたどるからである(傷を負い、血を流し、疲弊する――これらはすべて物理現象であり、その原因となる前駆現象もまた物理的である)。前者のみを排除する機構を考えつくのはよほど発想力に長けた人だと思う。つまり、魔術による攻撃が有効であるならば、銃撃による攻撃もまたそれと同等以上に有効でなければならない。そのような状況下においても魔術を戦闘の手段として銃よりも優先して用いるのであれば、そこには納得のいく理由がなければならない。