人を殺さば鬼となり、鬼を殺さば鬼となる
徒然草にこういう一節があるそうだ。
人の心すなほならねば、偽りなきにしもあらず。されども、おのづから、正直の人、などかなからん。己れすなほならねど、人の賢を見て羨むは、尋常なり。至りて愚かなる人は、たまたま賢なる人を見て、これを憎む。『大きなる利を得んがために、少しきの利を受けず、偽り飾りて名を立てんとす』と謗る。己れが心に違へるによりてこの嘲りをなすにて知りぬ、この人は、下愚の性移るべからず、偽りて小利をも辞すべからず、仮りにも賢を学ぶべからず。
狂人の真似とて大路を走らば、即ち狂人なり。悪人の真似とて人を殺さば、悪人なり。驥を学ぶは驥の類ひ、舜を学ぶは舜の従なり。偽りても賢を学ばんを、賢といふべし。
『徒然草』の83段~85段の現代語訳
鬼に同情しろとはいわない。なぜなら鬼は人ではないから。しかし、鬼の真似は鬼を生む。いかに鬼とて粗略に過ぎる扱いは人を鬼となすばかりである。人は鬼ではない。鬼になりたくなければ、人の行いに準ずるべきである。
鬼に同情しろとはいわない。鬼には鬼の扱いがある。さりとて人は鬼の行いをなすべきではない。鬼が人を殺し、人が鬼を殺し、鬼が鬼を殺すのならば、世に人の住む余地など残らぬだろうて。