とつとつとしてろうとせず

ひまつぶしにどうぞ。

信仰を諦めるための記述

自分が何を信仰の領域に属する問題と見なし、それらに対してどのような態度表明が必要であると考えているか——それを明らかにするためには、まず自分が何を信じているのかを知らなければならない。ここでいう「信じていること」とは、自身の思考や生活の根本的な前提として無意識的に受容されてしまっている公理のようなものであり、その妥当性や内容の是非には何の証明も釈明も必要としないような何かである。それこそが信仰、ひいては価値観の基体をなすものであろうから。

自分が何を信じているのか、それを知るにはどうすればよいのか。おそらく最も凡庸で、しかし確実な手段の一つが「記述」であると考えられる。すなわち、世間一般でいわゆる宗教的問題と見なされている言説に対して、自分なりに回答を試みるのである。その目的は、その分野における泥沼的論争に足を突っ込むことではなく、自分が提出した回答の内容を吟味することで、自分が何を前提としてそのような思考・帰結に至ったのかを知ることにある。

俺個人の問題としては、不可知主義をなぜ採用すべきだと俺が考えているのかが挙げられる。なぜ俺は不可知主義をより優れた、そうでなければ少なくとも他よりはマシな立場であると考えているのか、そう判断した論拠と価値観の公理を知ることで、俺はより安定した精神的安寧に浸れるのだろうから。