とつとつとしてろうとせず

ひまつぶしにどうぞ。

2014-09-01から1ヶ月間の記事一覧

荒れ野のゆりかご

たとえばすべてが壊されて、まっさら平らな更地になって、見渡すかぎりの荒れ野になれば、そこには何を建てればよいか。おそろしく堅固な城壁も、青空に突き刺さる尖塔も、綺羅びやかな伽藍の堂も、その硬さのゆえに、その高さのゆえに、その眩しさのゆえに…

目的としての宗教

西田幾多郎がいうように、宗教というものが手段ではなく目的であるのなら、宗教は精神安定剤ではありえない。精神の安定と宗教の遂行が同義でない限り。しかし、それは幸福へと至る方法論なのではなかったか。否、幸福の実現と宗教の遂行が同義でない限り。…

世界の壁は超えられない。なぜなら壁など存在しないから。宇宙は無限の陥穽だ。穴の奥にはまた穴がある。どこまででもいける代わりに、その向こう側には決していけない。向こう側などないからだ。真空を掘り尽くすことはできない。土と真空は別物であり、比…

仮設されたシンボル

仏教徒にとって、ガウタマ・シッダールタが歴史上実在していたかどうかはどうでもいい話である。少なくとも、その生涯を伝えるとされる記録は、明らかに仏教という思想を解説するための単なる寓話であり、史実を精確克明に記した考古学的資料ではないことは…

悟り薬

釈尊は精神的ドーピングを認めるか? これを飲めばたちまち寂滅、四苦八苦が消え失せ、揺るぎない安楽を得る妙薬があると知れば、仏陀はその丸薬錠剤を何とするか。沙門はそれを拒むであろう。自助努力によらない外的要因によって得られた覚悟に価値はないと…

救急車だってウーウーと泣く

健康な人間は嘔吐しない。青い顔して厠に駆け込む背中には大抵病魔が張り付いている。それは明らかな病の徴候である。よりにもよってこの危険信号をはしたないなどと咎める向きすらあるが、これはあまりに過酷な所見であろう。彼らとて好き好んで変わり果て…

宙吊り

何を拠り所にすればよいのか? 拠り所にすべき何ものも存在しないという事実を、何ものも拠り所にすべきではないという教えを。唯一で、動かし難く、誰の目から見ても明らかな、すべての人間を従わせることのできる法は実在しない。そのことに絶望すべきでは…

道徳の統一

道徳は世界宗教たりうるか。道徳規範は存在論によって構成される。しかし、存在論は科学によっても宗教によっても構成されうる。科学的存在論に基づく道徳規範は、もしかしたら世界の標準になることができるかもしれないが、宗教に基づくそれは、八百万の神…

絶望の受容

魂を桎梏に繋ぎ止めるための教え、獅子を猫に変え、狼に犬を産ませ、鷹の翼を引き千切り、蛇に足を付け加える教えは要らない。それは夜泣きを止めない赤子を囂しいと縊る老人の行いである。恐れと畏れを取り違えた耄碌の頭には余生を静穏に過ごす目算しか残…