とつとつとしてろうとせず

ひまつぶしにどうぞ。

2013-08-01から1ヶ月間の記事一覧

オーバーシュート、ダメ、ゼッタイ

流体解析において、交じり合わない2種類の流体が混在している系、たとえば、気液二相流を解析する場合、それらの流体を識別するために次のような色関数が用いられることがある。 \begin{align} \phi(\mathbf{x}) = \begin{cases} \ \ 1 & \mathbf{x} \in \mb…

真理の強要

道徳と同じく、宗教は真理を語らなければならない。正確にいえば、宗教が語る内容は虚偽であってはならない。人は嘘を信じることはできないからだ。したがって、教説が嘘であると判断されたとき、宗教はその人に対して語ることばを失う。 しかし、本当にそう…

注意書き

宗教寄りの内容の記事が過半数を占めている現状を一歩下がって反省してみるに、このブログの見た目は非常にうさんくさいものになっていることだろう。それで困るというわけでもないし、うさんくさいのは事実なのでどうしようもないのだが、少なくとも俺が壷…

神への愛、神への感謝

たとえば、道に迷って困っている人を見かけて、目的の場所に連れて行ってあげたとする。彼は去り際にこういった、「ありがとう。この出会いを導いてくれた神に感謝しなければ」と。そこで俺はこう思ってしまう、「神への感謝分を俺への礼にまわせよな」と。 …

ふさわしくない

はてなブログの新着エントリーにあったとあるブログを見て、こういう文章が聖書にあることを知った。 10:37 わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしくない。 10:38 自分の十字架を負…

崇拝の禁止

誰かを頼ることはよいことだ。個人の能力でできることには限界があり、個性によってその得意分野も異なるのだから、相互互助によって各人の欠点を補填することは目的を達成するための方法として自然である。誰かを敬うこともよいことだ。こうした相互原理は…

見守る神

自らが従うべきと信じる規範を権威的な存在者の意向として対象化することは、都合の悪いことをその存在者のせいにできてしまう余地があるという点で不健全ではなかろうか。ならば、心の中の法廷で審判を下す裁定者としての「見守る神」もまた、実は心の外に…

本当の自分

「自分」という語を修飾する時の「本当の」という語の意味は、「事実である」「真である」というものではない。それは「嘘ではない」「偽物ではない」という意味の価値判断を伴う語であり、換言すれば、本当ではない自分と異なる「快い」「悦ばしい」「満た…

つくづく考えさせられる

問題の核は、その最も肝心なはずの、私自身が感じているこれが、言語的有意味性にまったく関与しないことになる、という点にある。 (永井均、『哲学の密かな闘い』、ぷねうま舎、二〇一三年、三四〇頁。赤字斜体は原文では傍点) この人の本を読んでいると…

ブラウザによるルビ表示の違い

FireFoxはhtmlタグによるルビ表示に対応していない、ということをルビ表示の方法(正確には傍点の振り方)について調べていてついさっき知った。Google Chromeは対応しているようだ。FireFoxユーザーとしては残念なことだが、ブラウザ間で見え方が変わってし…

他人の救済

信仰の問題においていかに多くの他人が救われるかということはまったく意味をなさない。そんなことは信仰の問題ではない。大衆部は上座部をして迷える人々を置き去りにして自分たちだけ救われようとしている狭量な連中だと誹謗した。いやはや、それのどこが…

名文の植物的循環

名文とは? まずもって華のある、文学的表現に優れたもの、あるいは、明晰で簡潔な論理的美しさを持つものだろう。しかし、真の名文とは花のような文章でなければならない。それはそれ自身として素晴らしい水準のものである上に、それを読んだ各人の心に種を…

選べただろうか

俺は中高生真っ盛りの頃の自分が何を考えていたのかほとんど思い出すことができない。あの頃の俺は未来の自分が今こうしてあるようになっているであろうと想像していただろうか。もちろん、今となってはそれはわからない。ただ、俺はよりよい自分になること…

「死後」と〈死後〉

死んでしまった後、自分がどうなってしまうのかを気にする人は多い。なぜこのようなことを気にすることができるのか? もっというなら、死んでしまった後にさえ、どうにかなってしまうことが可能であるとなぜいえるのか? それは、ここでいっている「死」と…

星の友情?

デザインの設定で記事下部にあるはてなスターをはじめとするもろもろのいいね!的ボタンをすべて表示しないようにしていたのだが、非表示でもスターをつけること自体はできるらしく(もしくは非表示になっているのは俺だけなのか?)、消しても意味がなさそ…

神の価値

概念装置としての神には哲学的価値がある。しかし、思想としての神には道徳的価値しかない。原初のとき、言は神であった。この命題は隠喩としてではなく、そのままの意味で解釈されるべきであろう。世界を創造する神の力の片鱗は言語の力として見出されるか…

俺は小説のキャラクターだ、という嘘

「私は現実世界の人間である」と小説の登場人物が発言するときの強烈な違和感を思い出せ。彼はどうしてそんなことがいえるのか。彼は現実に存在しないのに! このことは俺でない人間が〈俺〉について詳しく語るときやゾンビがクオリアについて報告するときに…

数式の書き方覚え書き

という数式が書きたいならブラケット[]の中に次のように書く。 tex: \displaystyle \int_a^b f(x)dx 本当はコードをそのまま表示させたかったのだが、やり方がよくわからなかった。verbatim環境とかも使えなかったし。追記:何かのソースコードをそのまま表…

ロハより高いものはない

とはいえ、自分で書いた文章のテンションとすぐ下に表示される広告のノリが違いすぎて笑える。雰囲気作りというものが物質的にしか行われない以上、そこに金の有る無しが関わってくるのはどうしようもない。笑われたくないなら金を払うしかないのだ、うん。

生の無意味さ

人の生は無意味であるというとき、全体どんな種類の意味が無いとされているのか。それは人が自分自身に対して行う自己言及的な意味付けである。すなわち、人が「私の生の意味はこれこれである」と断言するとき、その発言は常に偽であるということだ。どれだ…