2014-11-01から1ヶ月間の記事一覧
なんか月間ページビューが100を超えたらしい。まぁ、だからなんだというのが正直なところだ。何せ俺がやっていることは「ブログ」ではなく、単なる「公開日記」に過ぎない。俺がブロガーとしての矜持というものをほんの一欠片でも持っていれば、月間PVの向上…
それが科学か科学でないかが問題なのではなく、科学的な手法と判断基準によって検証されているかどうかが重要だ、という主張があったとする。これは、科学的な手法と判断基準に従って検証を行うことが「よい」ことである、という主張を含んでいる。さて、こ…
誰も彼もが宣伝をしている。山々にすら客引きの呼び声が木霊する。海の潮騒はコマーシャルな劇伴に掻き消される。吹き抜ける風は耳元で新商品を呟き、降りしきる雨が道路の上にオシャレなフォントで「新発売」の文字を描く。誰も彼もが商人をしている。商人…
もしも魔法が使えたら、あなたは何をしたいと思うか。その問いに答えるためにはもちろん、魔法で何ができるかをあらかじめ知っていなければならないが、魔法という限りは、ある程度のことはできると考えてよいだろう。さてしかし、魔法の存在が、結局は目的…
今からすることはこのようなことであって、あのようなことではない。自分がなすべきはこの範疇に分類されることがらであって、そこからはみ出ることは許されない――などと考えていると、視野と自由度を狭めることになりはしないか。やりたいことをやりたいよ…
何が作品の質を決めるかと考えれば、当然それは物語としてのおもしろさということになる。そしてそれは、いかに登場人物を魅力的に描くかということに落ち着くだろう。さて、ここに設定へのこだわりという要素が入る余地はないように思える。というのも、物…
厨二病的な要素の否定を厩二病とでも呼ぶとすれば、それは流行りに対する逆行、つまり、過去に流行っていたものの復古にしかならないのか。そうかもしれない(だからこそそれは「病」の評を免れえない)。しかし、あからさまにダサいと感じているものをその…
贔屓目を差し引いたとしても、おそらく俺の考えている設定はある程度独自性の強いものだと思う。もちろん、それが聞き齧っただけの知識を引用しただけのパクリであることは大前提の上での話である。ここでいう独自性とはとどのつまり、他の作品と比べたとき…
法則の併存はありえない。もしも矛盾対立する二つの法則というものがあったとすれば、どちらかが誤った仮説であるか、もしくはそれらを統一するさらに高次の法則が成り立っているのでなければならない。物理法則と非物理法則が同時に並び立つことはない。必…
戦闘において魔術師が銃に勝利するためには魔術には呪文の詠唱が不要なのでなければならない――では、それは設定として「魔術」なのか? そう、確かにそれは魔術ではない。もしも呪文の詠唱が魔術のアイデンティティであるとすれば、その詠唱が本質的ではない…
神が記号を認識することによって記述は意味を持ち、逆真理条件を満たせば対応する事態が実現し、事実として成立する。実在性を付与するもの、現実性に付随する当のもの、それが神である。それは見るものであり、見られるものであり、それらは同じ一つのもの…
お前は伴侶が欲しいのか、それとも奴隷が欲しいのか? お前は連れ合いを探しているのか、それとも財布を探しているのか? 打算がないとはいえないだろう、目論見がないと証明もできない。それでも、その種の営みだけは、理想主義者の行いであって欲しいと願…
魔術師は銃を持つか? 持つだろう。こと戦闘において、武器としての銃の優位性は揺らがない。なぜ異能バトルもので銃を圧倒する戦闘シーンが描かれるか、なぜゴジラには自衛隊の砲撃が効かないのか。それはもちろん、銃撃を無効化することでその強さや無敵感…
より正確を期すなら、「魔術」や「魔力」といった用語の使用は好ましくはない。なぜなら、サハーにおけるそれらは「聖−邪」や「神−魔」、「法−混沌」といった対立空間の内部にはないからだ。それはサハーに本来的に具わっているもの、というより、サハーの運…
神が朧気ながら保持している前世の記憶は、サハーに対する現実世界からの到達可能性の隠喩として理解できる。これはつまり、虚構世界に例外なく人間=読者が理解可能な言語を持つ射影としての存在者が住んでいることと同じことであり、虚構世界に到達可能性…
逆真理条件という発想を捨てきることができないというのであれば、魔術は、論理空間に含まれる諸事態の中から一つを選び取り、それを事実として実現する神のごとき力を持つものとして設定されなければならない。なぜその技術が魔術と呼ばれるかの所以がここ…