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とつとつとしてろうとせず

ひまつぶしにどうぞ。

慈悲と愛

善逝曰く、愛とは妄執であって苦の原因であるから、愛ではなく慈悲を持てという。しかし、慈悲のみに満たされた世界は美しいだろうが、酷く心寒い情景に思える。それは農薬に塗れた作物というか、高度に制御された自然現象のような、ある種の人工的な違和感を感じる。ありていにいって、慈悲だけの世界というのは薄気味悪くはないか。誰も彼もがニコニコと笑っているという状況は笑気ガスかクスリの存在を疑うべきだろう。慈悲だけで子どもが育てられるだろうか。親の愛のないまま育てられた子どもに慈悲は理解できるのか。
俺が結局共感しきれてない部分はここだ。仏になるということは、人間に固有の価値観を捨て去り、そこから離れることだとすれば、それは本当に人間にとっての救済なのか。というより、人間らしさを失って手に入れる救済に意味はあるのか。心を平坦にし、何事にも動じぬように己を磨くというのは、とどのつまり人として摩滅しているに過ぎないのではないのか。人間をやめることでしか苦しみを取り除くことができないのなら、人間が苦しみから逃れる術はないということになるのではないか。それが事実なら、そのことをこそまず知らせるべきなのではないか。