とつとつとしてろうとせず

ひまつぶしにどうぞ。

あかがねの翼は射殺いころされた。輝く無数の石火矢が狙い違わず撃ち抜いたのだ。かぶらを吹き鳴らし、螺旋を描いて墜落する巨体を、連なる峰々はこぞって串刺しにした。清らかな鮮血が天地あめつちの間を立ち渡り、健やかな断末魔がわだかまる安寧を引き裂き、紅葉と見紛う茜の羽が風にまかれて家々の窓に打ち付けられた。木々が音を立てて笑っていた。獣たちが馬鹿みたいに走り回っていた。鳥たちは急き立てられるように森の外へと飛び立っていった。ただ痩せ衰えた溌剌さだけが、影に潜るように泥の中を這いずっていた。
それは凄烈な狩りであった。幾度も繰り返され、止むことのない最も美しい殺戮であった。血染めの黎明は東雲の袂に横たわり、その死をもって黒々とした祝福を明け渡したのだ。その命を喰らうものは、夥しい躯の内の一つでも記憶に留め置くべきであろう。

ゆるし

「人の生には意味がある」「生まれてきたのには理由がある」と主張する人々は、逆説的に「意味のない生には価値がない」「理由もなく生まれてくるべきではない」ということも同時に主張している。彼らはなぜか「ゆるし」がなければ生命は存在してはいけないと思い込んでいるらしい。実際にはゆるしを得ずとも生命は生まれてくる。それは誰かにとって有益であったり無益であったりするが、しかし等しく無意味である。彼らは自分の逆説に苦しみ過ぎている。大上段に振りかぶるような価値観はもう捨ててもいい頃合いに思える。意味があるかないかという価値判断は再帰的に自分の生に適用するものではないのだろう。おそらく、「人生の意味論」はカテゴリーミステイクである。

孤児

お父さんがいないなんてかわいそうね、と親戚のおばさんがつらそうにいった。お母さんがいなくてさみしいだろうに、と近所のおじさんは悲しげだった。気をしっかり持つんだ、と学校の先生は励ましてくれた。みっちゃんとりょうくんは何もいわずに、大事にしていたヒーローの人形を僕にくれた。
でも、おばさんは親のいない子がまともに育つはずないわと眉をひそめていた。おじさんはあの親たちの子じゃあ仕方ないなあとため息をついていた。先生は保護者が面倒見てくれないとこっちが困るんだと愚痴をこぼしていた。みっちゃんとりょうくんは僕と遊んだせいで他の子たちから嫌がらせを受けていた。それから、二人は僕に話しかけてこなくなった。
僕は小高い丘の上にある両親の墓の前にいき、これからどうするかを考えた。里親を見つけられれば、みんなはまた優しくしてくれるだろう。ほっとしたり、喜んだりしてくれるだろう。なら僕は新しい親を探しにいった方がいいのだろうか?
気がつけば、いつからか背の高い痩せたお兄さんがとなりに立っていた。長い髪の毛はボサボサで、とげとげした黒いひげが顔の半分ぐらいを覆っている。親がいないのか、とお兄さんは呟いた。少し怖かったけど、僕は頷いた。お兄さんはそうかといって長いこと黙っていた。日が傾きかけた頃、お兄さんはまた口を開いた。お前のような孤児を引き取ってくれる場所を知っている、そこにいる子供はみんなお前と同じで親がいないからすぐ友達になってくれるだろう、お兄さんはそういった。お兄さんには親がいるの、と僕が尋ねると、お兄さんは首を振った。いようがいまいが大したことじゃないさ、親だっていつかは死ぬんだから。僕の方を見て笑うお兄さんの笑顔はとても優しそうだった。僕はお兄さんについていくことにした。
お兄さんに手を引かれ、僕は山道を歩き出した。街の方とは反対の、丘を越えた隣町の、そのまたずっと遠くにあるという、孤児院を目指して。振り向くと、大きな夕日に照らされて、街は燃えるように赤く染まっていた。血のプールみたいだ。僕がいうと、お兄さんは高らかに笑った後、夕焼けが赤い理由を教えてくれた。僕はレイリー散乱の話を聞きながら、緩やかなくだり坂をゆっくりと下りていった。

空白

私を縛り付けるものは脆く崩れる灰の縄、私を鞭打つものは虫に喰われた朽木の欠片。私の両目を覆う薄布には穴が空き、私に宛われた耳当てはひどく風通しがよい。私を怒鳴りつける男は死にかけの老人で、私を見張るはずの男は高鼾をかいて眠りこけている。私に泣きつく女はしわくちゃの醜い老婆で、私に媚を売る女の薄笑いさえ甚だしくぎこちない。私が傅くべき王はすでに亡く、玉座は傾き黴が生えている。私が平伏すべき神々はとっくに遠ざかり、荒んだ聖域には沈黙が犇めいている。
私はもはや脅かされない、畏れない、尊崇によって行いを強いられない。私に命じるもの、私を動かすもの、私が身を捧げるべき何者も、もはや号令を謳いはしない。私は空白によって持ち上げられ、虚ろな背もたれに身体を預けている。ただ思い出だけが、自由も疑念も存在すらしなかった時代の残り香だけが、私を前へと押し進めようとする。はずみ車の回っている内に、因襲の泥濘に沈めと囁く。その力の弱さに、その声の小ささに、失われた偉大さと栄光の輝きが落とす影の深さに、私は涙を禁じ得ない。

なまぐさい

坊主が罪を許せずして誰が罪を許すのか。まして出家の身でありながら周囲の反対を押し切ってまで縁を結んだ己が細君を許せぬというなら、もはや坊主とも呼べぬただの狭量であろう(清濁併せ呑む一休和尚ならそんなことはいわなかったろうに)。最も世襲が許されない職業は政治家ではなく坊主である。なぜなら、真に出家を志した者なら妻を娶らず子供も作らないからである。自分自身の問題で手一杯で、一生かけて毎日終日それに明け暮れることを余儀なくされる人間だけが挙句の果てに坊主になるのであって、坊主業を継ぐというのはもはや単なる語義矛盾でしかない。もっと途方もないもの、正気を失いかねないもの、全身全霊を傾けて取り組むべきものを宗教と呼び、それを行う高貴な気狂いを坊主と呼ぶのである。