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とつとつとしてろうとせず

ひまつぶしにどうぞ。

いいがかり

キリスト教の贖罪の話は未だにいいがかりとしか思えない。イエスは人々の代わりに人間の罪を贖い、神もまた自らの子を犠牲に人間を許したのだという。でも、それが俺に関係あるのだろうか。俺が何をしたというのだろうか。犯罪者の家族が差別にあうという話が一応美談として語られないのは、少なくとも社会道徳上、人間の罪悪は個人の意志に基づく行為によって決まるということになっているからだ。みな表向きは生まれただけで罪であるような人間はいないという(裏向きにはそうはいわないと思うが)。もしそうなら、俺が贖うべき罪は俺の行いを数え上げることによって取り尽くされるはずであり、そこに生まれる前からの罪、人間であることただそれだけで生じる罪というものはないはずだ。借りたはずのない借金は返さなくていいし、購入した憶えのない物品を買い取る義務もない。自業と機運だけが俺の幸不幸を決定付けるすべての要因であり、それ以外に考えるべきことがらは存在しない。