暗号と暗喩
暗号と暗喩の違いとは何か。それは主張の伝達の意図に関する違いである。
暗号は限られた相手に対してのみ伝達されることを意図している。暗号通信の目的は、通信内容を第三者から傍受されず、暗号鍵を持った特定の受信者にのみ復号可能なものとして伝送することである。暗号は、それが知的なパズルでない限り、第三者に解読された時点でその目的達成に失敗している。暗号は基本的に解読されてはならない。
一方、暗号とは異なり、暗喩は伝達相手を指定しない。むしろ、暗喩はそれに触れた解釈者すべてに対して伝達を意図している。暗号が閉じた表現であるのに対し、暗喩は開かれた表現である。したがって、暗号は解読されてはならないのに対して、暗喩は解釈されなければならない。解釈者が正しい、あるいは、望ましい理解を得られなかったとき、暗喩の目的は未達成に終わる。暗喩は表現の手法であって、隠匿の手法ではないからである。
暗号と暗喩は表面上似ている部分があるように思われる。それらはどちらも「わかりにくい」という点で共通している。しかし、その意図に関して、それらは正反対の目的を持っている。暗号がわかりにくいのは、内容の伝達を困難にするためである。これに対し、暗喩がわかりにくいのは、ある主張をより強く伝達するためである。暗喩はむしろ、暗喩を用いることによって、主張の伝達がより容易に、より効果的になることを期待されている。暗号と暗喩は似て非なるものである。
ある作品において、わかりにくい表現があったとき、それが暗号であるか暗喩であるかが議論されることがあるかもしれない。正確には、それは暗喩であるか否かが争点になっている。というのも、大抵の場合、わかりにくい表現は暗喩であるか、あるいは単にわかりにくい表現そのものであるかのどちらかであるからだ。つまり、ある表現が暗号であるといわれるとき、それは暗喩として成立しておらず、水準の低い表現方法であるとして批判されているのである。もちろん、暗喩として認められたとしても、今度は暗喩としての水準の高低が問題になる。いうなれば、暗号の烙印は表現未満の代物だという痛烈な罵声にほかならない。
さて、あれは暗号なのか、暗喩なのか? それは暗号なのか、暗喩なのか?