とつとつとしてろうとせず

ひまつぶしにどうぞ。

開けてはいけない蓋

人生が無意味であることを嘆く人があるが、よくわからない。彼らが何をそんなに恐れているのか皆目見当がつかない。逆だ。人生が無意味であるということは最上級の幸福である。恐れるべきは、この事実を覆す真実が見つかってしまうことである。人生を外的に…

独立協調路線

闘争の撲滅を願うなら我らが為すべきは独立であって同化ではない。同化とは勝敗に伴うものであり、それは紛争の結果に過ぎないからである。和平に必要なものは十分な距離だ。互いに殺し合うことのできない距離まで後退り、悪口雑言の届かない場所で最小限の…

癌にはなれない

「地球にとって人間は癌細胞」だとか「地球に優しい」とかいう表現があるが、これには語弊があるように思う。地球というのは単なる惑星の名前に過ぎないもので、あたかもそれが価値判断を担う何らかの主体であるかのように擬人化するのは誤解を招くだろう。…

慈悲と愛

善逝曰く、愛とは妄執であって苦の原因であるから、愛ではなく慈悲を持てという。しかし、慈悲のみに満たされた世界は美しいだろうが、酷く心寒い情景に思える。それは農薬に塗れた作物というか、高度に制御された自然現象のような、ある種の人工的な違和感…

泥の山

他力本願はやはり駄目だ。自力によって本願は成就されずというなら他力によってもそれは不可能なのだ。否、本願成らずとわかった時点で他力という概念そのものがでっち上げに過ぎないと気づかなければならない。それで終わるのではない、そこから始まるのだ…

獣としての神

獣としての神は悪である。すなわち、それは人の道理から外れた存在であり、その意図に対してどのような解釈を行おうともそれは妥当ではない。獣が人を殺したとしても、そこに情念はない。恨みや憎しみによって殺すのでも、怒りや悲しみによって殺すのでもな…

醜い者

醜い者には首がない。ゆえに己を省みることがない。彼は盲であり、聾である。いかに自らが捻じ曲がり、歪み、奇形であるかを知らない。焼け爛れた肌を曝し、腐臭を放つ汚物に塗れ、それでもなおキィキィと甲高く、不快に騒ぎ立てることを止めはしない。彼は…

褒美的発想を捨てる

一般に、悟りを開けば輪廻転生を解脱するといわれるが、このように目的を褒美化して弱者に教条を強いるというのは宗教的に幼稚ではなかろうか。おそらく人々が知りたいのは、どうあがいても輪廻転生から外れることができず、苦しみを取り除くことが絶対にで…

見解の相違

宗教的問題の最も根本的な問いとは多分、「痛苦を除くことはできるのか」ではないかと思う。それに対する答えの違いが数多の宗教的立場を生むのではないか。そして、かなりの部分の宗教がこの問いに肯定的に答えることから始まっているのではないだろうか。…

地に足着かず

非現実的で、説明の困難な表象が立ち現れたとき、最もしてはいけないことは、それに関するありそうな解釈を与え、何とかして理解可能なものに変換しようとすることである。説明不可能・解釈不能といった事態は実は存在しない。どんな不合理で突拍子もない説…

信心深い科学者がいる理由

神秘性と合理性は対立しない。というより、神秘的なものはすべて非合理的であるわけではない、というべきか。たとえば、世界の存在や物理法則の内実は、それ以上説明が不可能という意味で神秘的であり、そこにはいかなる理もない。しかし、それらは決して非…

天秤

善悪を平衡する天秤は存在しない。究極的に幸福な極悪人も、最悪なまでに不幸な極善人も、どちらも等しく存在しうる。地獄や天国、業や徳といった概念はこうした事実の証拠である。畢竟それらは栄華に浴する悪人をやっかんだ俗人が、現世ではその状況をどう…

熱狂

救済というものがもしあったとして、それが何らかの神秘体験を必要とするというのであれば、それは程度の低い下劣な手法と言わざるを得ない。すべてをかき乱す熱狂に身を置くことは容易い。そんなものは錠剤やら注射やら葉っぱがあればいつでも実現できる安…

口を閉じると息が苦しい

無限に遠ざかる膜の内側に存在する人にとって、膜の外側というものは考えても仕方のないものだ。いや、正しくは、人の住む世界に対しては膜という比喩も外側と内側という概念的区別も妥当な表象ではないということである。それは適用範囲を外れた言語と思考…

訣別

転生思想は捨て去らねばならない。世界の構造がその錯覚を強いることは自明だが、感情移入の能力と転生のお伽話は全く別物だ。いかなる個性も死を乗り越えられない。それは定義としてそうである。来世は存在しないと強く信じなければならない。死を恐ろしい…

エネルギーとしての魔力設定

アニメ・漫画・ラノベ・ゲームなどのサブカルフィクション作品において、超自然的・非科学的便利能力の裏付けとして「魔法」というものがしばしば設定される。作品ごとに大なり小なりの差異はあるだろうが、おおむね魔法とは「魔力を源に術者の望んだ事態を…

科学と日常は連続か

論理的手法や科学的思考そのものを否定することは日常生活における人間の行動原理や正誤の基準といったものを否定することにはならないか。前提条件や仮説の真偽について意見の一致を見ることがたとえなかったとしても、それらを基準にして複合的な主張の真…

方便

宗教の目的がひとしなみに精神的満足を得ることであるなら、邪教による淫蕩や殺戮はそれを是とする人々にとって1つの手段であるということになる。宗教はその目的において邪教とされるのではなく、手段によって外道に分類される。それなら、嘘も方便というこ…

孤独死の義務

俺は俺の思想の唯一人の信奉者にならなければならないのではないだろうか。俺は思想的に孤立し、独立していなければならないように思われる。それは思想の内容が独自のものでなければならないというのではない。俺の思想は複数の主義主張のパッチワークであ…

頭を垂れる

一般に、そうすることが自身にとってよりよい効果をもたらすか、そうしないことによって甚だしい不利益を被る場合には、俺は特定の人物に頭を垂れるだろう。もちろん、社会道徳的な理由から他人に対してある程度の敬意を払うことは当然である。問題なのは、…

エゴの自覚

自然環境の保護や環境負荷の低減を行うことは「よい」ことである。しかし、それは「道徳的によい」ことなのではもちろんない。それは人間にとって「好ましい」という意味でよいのであり、人間の利益に叶った行動であるという意味でよいのである。しかし、一…

狂気を忘れることは狂気か

哲学的思考、いい換えると、いわゆる「愚にもつかない誇大妄想」じみた話に対して、ほとんど病的なまでに嫌悪感を示す人がいる。彼らはそういった類の話を聞かされてもまったくといっていいほど理解できないし、その手の話に理解しようとする努力をするだけ…

非原子論的破壊力学は可能か?

物が壊れない、すなわち、物体が衝撃力から生じた亀裂の進展によって、いくつかの破片に分裂しないような世界は可能か。可能であろう。その世界ではすべての物体は剛体なのだということで割り切れる。ここに原子論は必要ない。では、物が壊れるような世界に…

空想の到達可能性

「可能性は無限である」という命題は、ある意味で正しく、ある意味で間違っていると俺は考える。無限にあると言及される対象としての可能性が、可能性の集合の要素であるならば、その要素数が無限であるということはありうる(真かどうかは知らないが、真で…

さもなくば教

「私を信じなさい。さもなくば、あなたに祝福は与えられないでしょう」「私に背いてはならない。さもなくば、お前は永遠の苦しみに囚われるであろう」――これは脅迫であり、服従の強制であり、意図的な選択肢の制限である。しかし、重要なことは、このような…

真理の強要

道徳と同じく、宗教は真理を語らなければならない。正確にいえば、宗教が語る内容は虚偽であってはならない。人は嘘を信じることはできないからだ。したがって、教説が嘘であると判断されたとき、宗教はその人に対して語ることばを失う。 しかし、本当にそう…

神への愛、神への感謝

たとえば、道に迷って困っている人を見かけて、目的の場所に連れて行ってあげたとする。彼は去り際にこういった、「ありがとう。この出会いを導いてくれた神に感謝しなければ」と。そこで俺はこう思ってしまう、「神への感謝分を俺への礼にまわせよな」と。 …

ふさわしくない

はてなブログの新着エントリーにあったとあるブログを見て、こういう文章が聖書にあることを知った。 10:37 わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしくない。 10:38 自分の十字架を負…

崇拝の禁止

誰かを頼ることはよいことだ。個人の能力でできることには限界があり、個性によってその得意分野も異なるのだから、相互互助によって各人の欠点を補填することは目的を達成するための方法として自然である。誰かを敬うこともよいことだ。こうした相互原理は…

見守る神

自らが従うべきと信じる規範を権威的な存在者の意向として対象化することは、都合の悪いことをその存在者のせいにできてしまう余地があるという点で不健全ではなかろうか。ならば、心の中の法廷で審判を下す裁定者としての「見守る神」もまた、実は心の外に…