とつとつとしてろうとせず

ひまつぶしにどうぞ。

創り出すことと諦めること

仮に、全く疑いようがない程にはっきりと、自分が希望する状態の実現が不可能であることが明らかになったとする。そのような場合でも、さらにその不可能性を疑うことはできる。その疑い方には二通りある。一つは、これ以上ない程に明らかなその事実から導か…

暗号と暗喩

暗号と暗喩の違いとは何か。それは主張の伝達の意図に関する違いである。 暗号は限られた相手に対してのみ伝達されることを意図している。暗号通信の目的は、通信内容を第三者から傍受されず、暗号鍵を持った特定の受信者にのみ復号可能なものとして伝送する…

開けっ放しの口

同情しろとはいわない。涙を流せと圧力をかける気もない。感情移入は義務ではなく、ろくすっぽ事情も知らず片方に肩入れするのは筋違いだ。しかし、それにしたって口さがない。無思慮であり、無配慮であり、無遠慮である。畢竟彼らは彼らの見たいものを見、…

据え膳

ゼロから始める魔法の書 (電撃文庫)作者: 虎走かける,しずまよしのり出版社/メーカー: KADOKAWA/アスキー・メディアワークス発売日: 2014/02/08メディア: 文庫この商品を含むブログ (6件) を見るゼロから始める魔法の書 (2) ―アクディオスの聖女 (上)― (電撃…

原子論的描像の破棄

原子論的描像、すなわち、物体は最小単位の構成要素が結合することによって成り立つという命題を保持することなく、陶器の食器が衝撃によってバラバラに砕けるような、物体の破壊現象を説明することはできるだろうか。明らかに、現実世界における実際の現象…

複素数の平方根

注意 以下の記述は私的な備忘録であり、内容の正確さに関しては一切保証いたしませんので、悪しからず。 背景 ある日突然、無性に次の微分方程式が解きたくなったとする。 \begin{align} \label{eq:dif} y''''-3 y'' + 6y =0 \end{align}人生、何が起こるか…

合理的な魔術への到達可能性

現在の自然科学は帰納法による推論、すなわち、自然の斉一性を原理として仮定することで成り立っている。ある現象が十分に単純で外乱に対して頑健であるならば、その現象の原因となる現象を起こすことで、その現象は何度でも再現することができる。 魔術の可…

釈尊が働かなかった理由

なんか月間ページビューが100を超えたらしい。まぁ、だからなんだというのが正直なところだ。何せ俺がやっていることは「ブログ」ではなく、単なる「公開日記」に過ぎない。俺がブロガーとしての矜持というものをほんの一欠片でも持っていれば、月間PVの向上…

白衣がプラカードを持つべき理由

それが科学か科学でないかが問題なのではなく、科学的な手法と判断基準によって検証されているかどうかが重要だ、という主張があったとする。これは、科学的な手法と判断基準に従って検証を行うことが「よい」ことである、という主張を含んでいる。さて、こ…

褒めてやるから褒め返せ、という取引

誰も彼もが宣伝をしている。山々にすら客引きの呼び声が木霊する。海の潮騒はコマーシャルな劇伴に掻き消される。吹き抜ける風は耳元で新商品を呟き、降りしきる雨が道路の上にオシャレなフォントで「新発売」の文字を描く。誰も彼もが商人をしている。商人…

用途

もしも魔法が使えたら、あなたは何をしたいと思うか。その問いに答えるためにはもちろん、魔法で何ができるかをあらかじめ知っていなければならないが、魔法という限りは、ある程度のことはできると考えてよいだろう。さてしかし、魔法の存在が、結局は目的…

自己限定と自縄自縛

今からすることはこのようなことであって、あのようなことではない。自分がなすべきはこの範疇に分類されることがらであって、そこからはみ出ることは許されない――などと考えていると、視野と自由度を狭めることになりはしないか。やりたいことをやりたいよ…

重み付けの配分

何が作品の質を決めるかと考えれば、当然それは物語としてのおもしろさということになる。そしてそれは、いかに登場人物を魅力的に描くかということに落ち着くだろう。さて、ここに設定へのこだわりという要素が入る余地はないように思える。というのも、物…

逆行

厨二病的な要素の否定を厩二病とでも呼ぶとすれば、それは流行りに対する逆行、つまり、過去に流行っていたものの復古にしかならないのか。そうかもしれない(だからこそそれは「病」の評を免れえない)。しかし、あからさまにダサいと感じているものをその…

ほぼ空気の透明人間

贔屓目を差し引いたとしても、おそらく俺の考えている設定はある程度独自性の強いものだと思う。もちろん、それが聞き齧っただけの知識を引用しただけのパクリであることは大前提の上での話である。ここでいう独自性とはとどのつまり、他の作品と比べたとき…

並び立ちえない二つのもの

法則の併存はありえない。もしも矛盾対立する二つの法則というものがあったとすれば、どちらかが誤った仮説であるか、もしくはそれらを統一するさらに高次の法則が成り立っているのでなければならない。物理法則と非物理法則が同時に並び立つことはない。必…

呪文は魔術のアイデンティティか?

戦闘において魔術師が銃に勝利するためには魔術には呪文の詠唱が不要なのでなければならない――では、それは設定として「魔術」なのか? そう、確かにそれは魔術ではない。もしも呪文の詠唱が魔術のアイデンティティであるとすれば、その詠唱が本質的ではない…

神の自己認識

神が記号を認識することによって記述は意味を持ち、逆真理条件を満たせば対応する事態が実現し、事実として成立する。実在性を付与するもの、現実性に付随する当のもの、それが神である。それは見るものであり、見られるものであり、それらは同じ一つのもの…

そうやってまた孤独死に近づく

お前は伴侶が欲しいのか、それとも奴隷が欲しいのか? お前は連れ合いを探しているのか、それとも財布を探しているのか? 打算がないとはいえないだろう、目論見がないと証明もできない。それでも、その種の営みだけは、理想主義者の行いであって欲しいと願…

銃と詠唱

魔術師は銃を持つか? 持つだろう。こと戦闘において、武器としての銃の優位性は揺らがない。なぜ異能バトルもので銃を圧倒する戦闘シーンが描かれるか、なぜゴジラには自衛隊の砲撃が効かないのか。それはもちろん、銃撃を無効化することでその強さや無敵感…

魔の術

より正確を期すなら、「魔術」や「魔力」といった用語の使用は好ましくはない。なぜなら、サハーにおけるそれらは「聖−邪」や「神−魔」、「法−混沌」といった対立空間の内部にはないからだ。それはサハーに本来的に具わっているもの、というより、サハーの運…

必然的な到達可能性

神が朧気ながら保持している前世の記憶は、サハーに対する現実世界からの到達可能性の隠喩として理解できる。これはつまり、虚構世界に例外なく人間=読者が理解可能な言語を持つ射影としての存在者が住んでいることと同じことであり、虚構世界に到達可能性…

力の源と盲目の意志

逆真理条件という発想を捨てきることができないというのであれば、魔術は、論理空間に含まれる諸事態の中から一つを選び取り、それを事実として実現する神のごとき力を持つものとして設定されなければならない。なぜその技術が魔術と呼ばれるかの所以がここ…

自覚的な濫用

『知の欺瞞』を初めて読んだのは確か四年ほど前のことだったと思う。これはソーカル事件の顛末とその後巻き起こった論争に対する当事者たちの主張をまとめたもので、とてもおもしろい本である(文庫版が出ていたのをいま知った。今度買いに行こう)。私見と…

像の像

もしも魔術を像の逆写像のようなものとして設定しうると考えているなら、それは不可能である。なぜなら、ある事実の像はそれ自身また事実であって、サハーの一部であるからだ。像と原像は同じ世界の内部にあり、像だけがサハーの外にはみ出ているということ…

そうではない!

そうではない、そうではない! 望ましき狂気とは、好ましき猟奇とは、かくも統一と調和を欠くものではありえない。お前のそれは散乱しているだけだ、とっちらかっているだけだ! もしやもしや、心に浮かんだ徒然を、迸るパトスとやらに任せるまま、ただただ…

レイヴン、極秘の依頼だ

青春時代に触れたコンテンツ(マンガ、小説、アニメ、ゲームその他もろもろ)がその人の人格および思想の形成に対して甚大な影響を及ぼすというのは広く流布した「俗説」だと思う(だからこそゲーム脳やらオタクバッシングやらの過剰に熱狂的な運動が古今東…

隠喩

宗教用語はすべからく隠喩であるらしい。それが意味を持つのは、そのことばが通常の使用を否定する形で運用される場合に限られる、のだそうだ。そうであるなら、宗教に関する懇切丁寧な説明とは、その隠喩の解説であろう。すなわち、その説明は当該宗教に由…

肥満

お前はもっと太るべきなのではないのか? なぜそこまで誇らしげに、骨と皮ばかりの貧相な体を見せびらかしているのか。不器用なステップをどんどかと踏み、心を外してクルクルと回るその様は、まるきり糸繰り人形だ。風に吹かれて路傍を転がる棒切れみたいに…

せんないことだが

はてなブログの新着記事のタイトルを新しい方から流し読みしていっていつも思うのは、当然だが俺が書くような胡散臭い記事なんてほとんどないということだ。ブログを書いている大半の人が記事として取り上げるものは、自分が紹介したい時事やツールやコンテ…